前回の記事と今回の記事をひと通り読んでいただければ、ユングが打ち立てた本来のタイプ理論の要点がしっかり頭に入ります。
そうすれば、なぜMBTIではダメなのか・・・が根底から納得できます。
MBTIにはどうやら「2つの前提」があるようだ
MBTIの理論を詳細に検討してみると、「2つの前提」とも言うべき独特の考え方があることに気づきます。
それが次の2つです。
①人には誰でも外面(そとづら)と内面(うちづら)がある
②外面(そとづら)にはその人の外向的な性格機能が使われる
※外面(そとづら)、内面(うちづら)という表現は伝わりやすいように私(ナマケモノ)が勝手に名付けたものです。
最初に、MBTIが前提としているこの2項目について見てみることにしましょう。
①人は外面(そとづら)と内面(うちづら)で生きている(?)
再度、念のために書いておくと、MBTI側では外面(そとづら)とか内面(うちづら)という表現は使っていません。
その代わり『MBTIへのいざない―ユングの「タイプ論」の日常への応用』には次の2つの表現が出てきます。(第1章24p)
public self(公的の自己)
private self(私的な自己)
そもそもこの用語は臨床心理のカウンセリングなどに出てくる言葉だと思うのですが、MBTIはなぜこの用語を引っぱって来たのでしょうか。
また、同書には上の表現を「ユングが提唱した」と書かれています。
でも、それは何かのカン違いでしょう。
前回の記事で説明した通り、そもそもユング心理学で言う自己にはちゃんとした定義があります。
それを知っていれば、上記のような「自己」という言葉の使い方にはとても違和感を覚えます。
それはともかくとして・・・
MBTIではこの外面(そとづら)のことを
外界に対する態度
と呼んでいます。
私たちが社会生活をいとなむ時、「素のまま」の自分では何かとマズい場合がありますよね。
そういう時、プライベートとは違う自分に切り替えることがあります。
その外面(そとづら)のことをMBTIでは「外界に対する態度」と呼んでいるのです。
例えば学校の先生なら、普段の自分はともかくとして、教壇に立って生徒たちと向かい合う時はいかにも「教師らしく」あらねばなりません。
それが「外界に対する態度」、つまり外面(そとづら)であり、それがMBTIの言う「公的自己」でしょう。
逆に、この先生が休みの日に生徒や父兄の目を盗んでパチンコに行くとしたら、その時の態度は内面(うちづら)、すなわち「私的自己」だと言えます。
MBTIという性格検査法は
人間は誰でも外面(そとづら)と内面(うちづら)で態度と機能を切り替えながら生きている
という前提に立っているようです。
②外向的な機能が外面(そとづら)を担当している(?)
ユングは人間の性格を形作る機能として、
思考、感情、感覚、直観の4つをあげています。
(詳しいことは前回の記事をご覧ください)
これら4つの機能は2つのグループに分けられましたよね。
もう一度、確認しておきましょう。
思考(T)←→感情(F)
感覚(S)←→直観(N)
このユングの基本的な理論をMBTIでは次のように解釈しているようです。
もし、あなたの性格の中で最も強い機能が思考(T)だとして、しかもそれが外向的な傾向を持っている場合、あなたの外面(そとづら)は外向的思考となる。
一方、内面(うちづら)についてはMBTIでは次のように考えています。
もし、あなたの性格の中で2番目に強い性格が感覚(S)なら、それは自動的に内向的な傾向を帯びる。
つまりあなたの内面(うちづら)は内向的感覚となる。
これはどういうことかと言うと
公共的な場では、あなたは外向的思考型の人間として行動する
プライベートでは、あなたは内向的感覚型の人間として行動する
さて、これはどんな人間か、イメージできますか?
まず、外向的思考型の人というのは・・・
物事を客観的、論理的に見ていく人です。
こういう人は現代社会ではエリートになりやすい。
割と堂々と胸を張って生きているイメージがあります。
例えば銀行員や商社マン、官僚などに多いタイプです。
一方、内向的感覚型は簡単に言えば・・・
マイワールドなオタク系の人間です。
例えばガジェットなど「モノ」にこだわる人が多い。
端的に言えば、ちょっとクセのある人間って感じですね。
ちなみにゴッホなどフランス印象派の画家の多くはこのタイプです。
ちなみにこのタイプはMBTIで言えばESTJに相当します。
ただ、本当の人間の性格がMBTIの理論通りになっているかどうかは別です。
この『ナマケモノ心理学』ではこのESTJに対して「社会秩序の番人」と名付けています。
ただし、その性格診断では「内向的感覚をプライベートで使う」という解釈はしておりません。
以上、MBTIが前提としている(としか考えられない)2つの項目について解説しました。
外面(そとづら)と内面(うちづら)を使い分けられるのか?
MBTIという性格検査法の根底にある「2つの前提」について、皆さんはどう思われましたか?
まず、誰もが次のように感じたのではないでしょうか。
外面(そとづら)と内面(うちづら)をみんなが器用に使い分けているとは思えない
この部分に関しては、私はマイヤーズがユングの理論を間違って学んでしまったのではないか、と思うのです。
これについては前回の記事でも少し触れたのですが、今回はもう少し詳しく書きますね。
ユングのタイプ理論を理解する上で最も重要なのは意識と無意識についての概念です。
(これは前回の記事にも説明があります)
人間は常に「自分」であり続けるために必ず意識を働かせながら生きる必要があります。
ただし眠っている時には、この意識を手放すことができます。
だから夢の中に出てきた自分は、無意識の自分だったりするのです。
さて、今ここに思考型の人がいるとします。
この人の思考機能が外向的か、内向的かは問いません。
(ここ、大事なところです!)
この人は公共の場だろうが、プライベートの場であろうが、意識を保って生きている限り、常に思考型の人間であり続けます。
そして思考型として仕事もすれば、友人とも遊ぶ。
子育ての時だって、思考型らしく客観的な論理性を大事にするはずです。
ふだん会社で外向的思考型の「やり手」営業マンとして活躍している人がプライベートで海外旅行に行ったとします。
現地に着いた後、この人は一部のマニアしか知らない観光スポットよりも、ガイドブックにも書いてあって社会的にも広く評価されているような観光名所の方に興味を持つでしょう。
なぜならそれが外向的思考型の性格だからです。
だから、場所や環境が変われば意識の中身が変わる、などということは考えられないのです。
これについては次項でさらに詳しく述べたいと思います。
ユング心理学における意識・無意識の考え方
ユング心理学では、人間は誰しも
思考、感情、感覚、直観
の4つの性格機能を持っていることになっています。
そこで例として、再度、思考を主要機能として使っている人の場合を考えてみましょう。
この人の場合、思考以外の機能、つまり感情、感覚、直観はどうなっているのでしょうか。
ユングは次のように考えています。
主要機能以外の3つの性格機能はおおむね無意識の領域に閉じ込められている。
つまり無意識の中で眠りこけていて、それゆえボヤーッとしているそうです。
だからこの人の場合なら、
完全に覚醒しているのは思考だけ
ということになります。
思考の正反対にある感情は完全に眠っています。
ところが感覚・直観はそこそこ覚醒しているため、そのどちらか一方が補助機能として働くことになります。
とは言え、完全に覚醒している主要機能に比べれば、その補助機能も働きはだいぶん落ちます。
ここまでのところを整理すると次のようになります。
思考型の人の場合
(外向か内向かは問わない)
公共の場だろうがプライベートであろうが、常に思考型であり続ける。
なぜならこの人の場合、思考だけが意識的にちゃんと制御できる機能だから。
そして感情は完全に無意識の中に沈んでいる。
感覚・直観はそこそこ覚醒している状態(ただし人によって違う)なので、補助機能として働くことができる。
一応、念のために述べておくと、思考型の場合、感情は補助機能にはなれません。
なぜなら思考と感情は正反対の機能なので、「共に働く」ということができないからです。
さて、この思考型の人の心全体をイメージで表したのが次の図です。
このイメージは外向型であっても内向型であっても同じです。
外向性と内向性はどう考えればよいのか
ところで外向性、内向性の話はどうなっているのか・・・と疑問に思う人もいらっしゃるでしょう。
それについてお答えしておきましょう。
思考型には外向的思考型と内向的思考型の2種類があります。
どちらで説明しても考え方は同じなのですが、外向的思考型の場合、無意識の中に沈んでいる感情、感覚、直観の3つの機能は
一種の内向的な性格をもつ
とユングは述べています。
なぜかというと、主要機能である外向的思考を目立たせるために、その他3つの機能はあえて身をひこうとするからです。
ただしそれについてユングは全タイプで明言しているわけではありません。
かりに主要機能以外の3つの機能が「内向-外向」で逆になるとしても、それはあくまでも比較の問題に過ぎないと考えた方がよさそうです。
本来のユング心理学で人の性格タイプを判定する場合、まず、その人の意識が「外向、内向」のどちらの傾向にあるかを見ます。
次に、その意識の領域で主として活動している機能が「思考・感情・感覚・直観」のいずれであるかを考えます。
こうして人のタイプを判定するには深い洞察力が必要です。
一方、MBTIでは洞察力というより、ある種の「手続き」によって人のタイプを判定する、という考え方のようです。
MBTIはどこで間違えたのか?
前回の記事にも少し書きましたが、結論から言えば、マイヤーズはユングの「意識と無意識」の理論を正しく理解できなかったのではないか、と思います。
実際、MBTI理論のどこをどう見ても、ユングが考察した「意識と無意識」の考え方は見当たりません。
その代わりに、「意識と無意識」は「公的自己と私的自己」という全く別の対立概念にすり替えられているように思われます。
そして、その「公的自己と私的自己」という対立概念は、いかにもユング理論に忠実であるかのように「外向性-内向性」という対立要素に再変換されています。
そしてMBTIでは常に外向性、つまりマイヤーズの言う「公的自己」をどの機能が担っているのかを優先的に考えてタイプ名を決定するシステムになっているのです。
では、そのタイプ名の作られ方を実例を使って説明しましょう。
まず、外向型の代表として、ESTJを例に説明します。
ESTJ
外向(E)-感覚(S)-思考(T)-判断(J)
末尾にあるJの文字は
判断(J)機能である思考(T)は外向的に働いている
という意味です。
したがって、思考(T)が公的自己を担当していることになります。
また、このタイプの人はそもそも外向型なので、その外向的思考がそのまま主要機能の座につきます。
一方、感覚(S)の方は自動的に内向的となり、補助機能の座につくことになります。
【ESTJ】
主要機能→外向的思考(公的自己)
補助機能→内向的感覚(内的自己)
では、内向型の人の場合はどう考えるのでしょうか。
その例としてINFPの場合をとりあげてみます。
INFP
内向(I)-直観(N)-感情(F)-知覚(P)
末尾のPの文字は
知覚(P)機能である直観(N)は外向的に働いている
という意味です。
したがって、直観(N)が公的自己を担当していることになります。
ところがこのタイプはそもそも内向型なので、上記の外向的直観は補助機能に回されてしまいます。
そして自動的に内向的となった感情(F)の方が主要機能の座につくことになります。
【INFP】
主要機能→内向的感情(私的自己)
補助機能→外向的直観(公的自己)
MBTIはユング心理学もどき?
さて、MBTIにおけるタイプ決定のシステムの「どこがヘン」だか理解できましたか?
MBTIではその人の主要機能を考える以前に、まず
公的自己がどうなっているのか?
ということに着目します。
つまり、先ほども少し述べましたが、
外面(そとづら)の判定を優先する
ということなのです。
外向型の場合はその外面(そとづら)がそのまま主要機能と認定されます。
ところが内向型の場合、まず、外面(そとづら)が補助機能に回され、その後で「残り物」が主要機能に認定される、という順序です。
なんだか一種の「こじつけ」理論のような気もするのですが・・・。
MBTIのこうしたタイプ判定の順序は確かにヘンです。
しかしそれ以前に、もっと重大な欠陥があります。
それはユング心理学の最重要ポイントとも言うべき「意識・無意識」の概念がタイプ判定のプロセスから完全に欠落していることです。
意識と無意識の問題を無視したら、もはやユング心理学ではありません。
つまりMBTIはユング心理学の応用版なんかではなく、あえて言葉にするなら次のように言えるのではないでしょうか。
「ユング心理学もどき」
★本来のユング心理学における判断的機能と知覚的機能という用語の意味については次の記事でも解説しています。
タイプ論について
ユングの『タイプ論』を読むと自分の苦しみの原因がストレートに理解できます。
こうやって私がこの本を宣伝すると、「自分も読んでみようか」と思う方がいらっしゃるかもしれません。
ただし先に申し上げておきますが、それなりに難しい本ですよ。
私も同じところを10回くらい読んで、やっと意味が理解できた部分がたくさんあります。
でも、『タイプ論』に取り組むことは、一見遠回りに見えて、実は自分自身を理解するための最短ルートだと思います。
若いうちから少しずつ読んでいくだけの価値はある本です。