ナマケモノ心理学コラム

人間関係リセットを重く考え過ぎてしまう病理

人間関係リセット

 

人間関係リセット症候群という言葉・・・。

「症候群」と呼ぶだけあって、

「現代人が陥りがちな負の状態」

として語られることが多いみたい。

 

でもナマケモノ的な観点で言えば、

しょせん「世代限定の感じ方」

にしか思えないんだけど・・・。

 

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人間関係リセットは世代限定型の現象である

 

「人間関係リセット症候群」という言葉をネットで検索してみると、それについて語っている人って基本的に「ある年齢以下」であることに気づきます。

 

その「ある年齢以下」とはつまり物心ついた時からケータイがあった世代、もしくは遅くとも社会人になった頃にはケータイが普及し始めていた世代です。

 

こういう世代の人たちはSNSやラインのヘビーユーザーとして「常に誰かとつながっている」という状態にあるわけで、それを「人間関係」と呼んでいるのでしょう。

 

 

ところが私のように50代以上の人間の場合、ケータイを持ち始めてからの期間がまだ人生の半分にも至っていない世代です。

で、いまだにこの「常に誰かとつながっている」感というものがピンと来ない。

 

だから私たちの世代というのは、そもそも「人間関係をリセットする」以前の段階で生きている世代なのだろうと思います。

 

 

そういえばケータイのなかった時代は固定電話の時代になるのだけど、当時は「紙のアドレス帳」とか「紙の住所録」ってものがありました。

こういうのが普通、どこの学校でも会社でもその所属メンバー(つまり生徒とか社員)に配布される習わしでした。

 

だから勤めている会社を辞めて他社に移った場合、たいがい前の会社の住所録は要らなくなるので捨ててしまったりする。

今考えると、それが「人間関係リセット」になっていたのかも知れません。

 

 

「連絡しあえる」から「大切な関係」とは言えない

 

「友だちが多いことはよいことだ」という考え方は昔からありました。

 

そう言えば昭和時代の有名な童謡『一年生になったら』の歌詞の中に

「ともだち100人できるかな」

というフレーズがありました。

 

あんなのが流行するくらいですから、とにかく「友だちが多い人は健全だ」という思想は今より強かったわけです。

 

でもそれは「友だちをつくる」ということは難しい・・・という共通認識があったからこその話。

一方、今は考え方が変わってきていて、この「友だち」という概念が消滅の方向に進んでいるように思います。

その代わり、ラインやSNSでつながっている状態を「人間関係」と呼ぶ。

しかしそれを「友人関係」とは呼ばないわけです。

 

これって、「友人関係」にまで昇格する以前の、

「単に連絡しあえるに過ぎない人間関係」

をいかにも大事そうに取り扱っているだけではないのか?と思うのですね。

 

 

もし、定期的に「友だち関係リセット」をするなら、それはちょっとオソロシイかも。

「友だち」と呼べる存在がほとんどいない私にとって、「友だちを作る」ことはほとんど結婚と同じくらいの重みがあります。

だから昨日まで「友だち」だったのに、「はい、今日から絶好ね」というのは「はい、離婚しましょう」くらいに重大事です。

 

それに比べれば、単に連絡しあえるだけの「人間関係」をリセットすることの一体どこが重大事なのか?というのが私の正直な意見です。

 

なにしろ私たちの世代ってのは、不要になった「紙の住所録」はポイポイ捨ててきた世代ですから。

 

 

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連絡しあえることを精神安定剤にしているだけ

 

最近の論調では、「人間関係リセット」つまり「連絡が取れないようにする」ということが一種の「精神疾患」の症状であるかのように語られがちです。

だから「とりあえず人間関係は大事にしておきたい」という考え方になるのでしょうね。

 

でも、実際にはその反対なのではないのか?

「とりあえず連絡しあえる」ということを「自分は孤立していない」ということの証明だと考え、それを精神安定剤にしているだけでしょう。

それこそ一種の病理だと思うのですが・・・。

 

 

ところで「友だち」って、今だからこそ思うのですが、若いうちにしか作れないものですよね。

作れたとしても、せいぜい30歳前後までで、それ以降になると新しい友だちというのは作るのが極端に難しくなります。

 

知り合い程度なら作れますよ。

たとえばカルチャーセンターなどの〇〇教室に入ったり、最近だとオンラインサロンだとか、そのオフ会とかで「知り合い」を作ることなら簡単にできる。

でも、それは「友だち」ではないと思う。

 

「友だち」っていうのは、何かがあるから一緒にいる関係ではなく、

「何もすることがないのに、なぜか一緒にいてしまう」

という関係だと思うのです。

 

そういう関係って、おそらく10代とか20代の間しか作れないと思います。

そういう友だちならリセットしないで継続していく価値はあるでしょう。

 

でも、単に連絡先を知っているだけの「人間関係」が「友だち関係」に昇格することはめったにありません。

ましてやあなたがすでに30歳を超えているなら、単に連絡先がわかる程度の人が将来あなたの友だちになることはないでしょう。

 

それをリセットするのことを「人生の重大事」のように考えるのなら、それこそ一種の強迫観念です。

 

 

リセットしないでおくと思い出に変わる場合もある

 

人間関係リセットを「不要な関係性の断捨離」だと考えるなら、むしろどんどんやってかまわないと思います。

 

私の場合、そもそも人間関係がそんなに広くないので今さら断捨離する必要もありません。

ところが今、家の中に不必要なモノがたくさんあり過ぎる。

そこで年末ということもあって、この際だから家中の不要なゴミを一気に捨てることにしました。

 

そして可燃ゴミと不燃ゴミを分別していたところ、不要な紙の束の中から懐かしいものが出てきました。

それは私が若い頃に働いていた職場の住所録です。

(もちろん紙でできたやつ)

 

もともと私は今でいう「人間関係リセット癖」があったためか、フリーになるまで職場を転々と変えてきました。

だからその職場の数だけ同僚の住所録をもらってきたわけですが、それらを全部まとめた紙の束が出てきたのです。

 

それらの住所録の紙束はファスナー付きのビニール袋にまとめて入れてあったのですが、古いものはすっかり黄色に変色していて、まるで古文書のようになっていました。

 

しかし・・・こんなものを保存していたなんて、私もずいぶん未練がましい人間です。

 

それを眺めながら、

「そういえば仕事が終わった後、コイツらとよく飲みに行ったなあ」

という思い出に浸ってしまいました。

ホントに仲のよい同僚がたくさんいて楽しい時代でしたが、それでも彼らは「友だち」ではなかったと思います。

 

まだケータイのなかった時代でしたから、その住所録に記載されている電話番号も固定電話のもので、今はもう使われていないでしょうね。

住所も皆、変わっていると思います。

持っていたって仕方ない。

 

だけど逆にこれ、捨てられません。

「昔、こういう人間関係を持っていた」という思い出として、もうしばらく捨てずに持っておくことにします。

 

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