気を抜いている時、人はしばしば無意識のうちに本音をもらしてしまうものです。
普段は優しい人なのに、毒たっぷりの本音をもらして相手の心をグサッとえぐってしまったり・・・。
そういう場合、本人もすぐに気づいて
「ごめん、失礼なことを言っちゃった」
と謝ってくることがありますよね。
こういう本音って、ユング心理学的にはどう考えればよいのでしょうか?
タテマエは優越した判断機能が担当している
まずは人間の持つ本音とタテマエについて考えてみましょう。
まずはタテマエからです。
劣等機能講座でも詳しく説明しましたが、人間に備わった「思考、感情、感覚、直観」の4つの性格機能のうち、どれか1つは優越機能となり、どれか1つは劣等機能となります。
思考機能が優越である、と言った場合、その人の思考機能が高度に分化されているということになります。
分化という言葉のニュアンスについてはこちらの記事を参照してください。
たとえば思考タイプの場合、その人の思考機能は高度に分化されています。
だから洗練された思考力を持っていて、難しい問題も順序立てて考え、解決していけるということです。
こういう思考タイプの人はたとえば受験勉強の時、嫌いな科目であっても、それが受験に必要となれば「割り切って」勉強することができます。
学歴社会のエリートに多いタイプかな
逆に感情タイプの人は感情機能が高度に分化しています。
つまり感情機能が洗練されているということですが、これは自分の感情を上手にコントロールできるということを意味します。
実は感情タイプについてはかなり誤解されています。
高度に分化した感情を持っている感情タイプの場合、感情が安定していて穏やかなため、逆に「感情的な人には見えない」ことがよくあるのです。
これはどういうことかと言うと、目の前に大嫌いな人がいても、自分の感情をむき出しにせず、笑顔を保っていられる「理性的な感情」を持っているということです。
このように考えていくと、優越機能はその人が最も上手に使いこなせる機能なので、その気になれば、その優越機能を使って「上手に嘘がつける」というわけです。
嫌いなことでも割り切ってやっていく。
感情をおさえて、冷静さを保つ。
人間は本心を隠して「タテマエ」を優先する生き物ですが、そうした「タテマエ」を担当しているのが優越機能だと言えます。
特に思考機能と感情機能は「判断」という、外界へのアウトプットを担当する機能ですから、
優越した判断機能がタテマエをコントロールしている
と考えてもいいでしょう。
本音は劣等な判断機能から飛び出してくる
私たちは一応、社会生活を送っているので、職場ではたいがいタテマエ重視でしゃべっています。
また、この社会で生きていくにはタテマエが必要です。
でも、どんなにタテマエで完全武装していても、つい本音がもれてしまう場合があります。
実はこういう本音って、その人の劣等機能から飛び出してくるんですね。
劣等機能とは本人が意識的にうまくコントロールできていない心の部分。
だから本人の意志とは関係なくポロリと出てしまう。
だから本音なんです。
たとえば思考タイプの場合、案外、感情が顔に出やすかったりします。
ただし本人は自分の感情が顔に出ているとは思っていません。
でも周囲から見ると、
あの人は嫌な事があると、すぐにムスッとした顔をするよね
などと思われていることが多いのです。
これは感情機能が劣等機能であるため、自分の意識でうまくコントロールできず、その感情が勝手に顔に出て来てしまうからです。
一方、普段は穏やかな感情タイプの人が時に相手の心をえぐるような冷たい言葉を口に出すことがあります。
そういう場合の感情タイプの言葉というのは意外にスジが通っているため、言われた方は反論の余地がありません。
これが思考タイプの場合だと、かりに相手を論理的に追い詰めるにしても、相手が言い訳できるように、ちょっと逃げ場を作ってあげたりもするものです。
ところが感情タイプの場合、そうした配慮はありません。
それは思考機能が劣等機能であるため、まるで直球のような正論しか言えないからですね。
こう考えていくと、劣等機能の性質がわかってきます。
劣等機能はあまり開発されていないので、実は本人も目立たないように隠しておきたい。
ところが何かのはずみにそれが表に飛び出してくる。
しかし劣等機能もその人の感情の一部であり、しかも加工がされていません。
だから荒削りな表現にはなるけれど、まさにそれこそが本音なのです。
ついでに言っておくと、この「本音が出る」というのも「外界への働きかけ」ですから
劣等な判断機能が本音となって飛び出してくる
と言えるでしょう。
本音とタテマエを使い分けるって言うけれど・・・
よく「本音とタテマエを使い分ける」という言葉を聞きます。
しかし本当にそんなことができるのでしょうか?
そこで次のようなケースを考えてみましょう。
宝くじで3000万円当たったとします。
そして奥さんが
「これは子供の教育費に取っておきましょう」
と言う。
一方、ダンナは心の中で、
「子供の頃から憧れていたフェラーリの新車を買いたいなあ~」
考えています。
しかしそんなことは言い出せず、奥さんに
「そうだね、これは子供のために取っておくべきだよ」
などと言っています。
この場合、このダンナは本音とタテマエを意識の中で使い分けていますよね。
本音→フェラーリの新車を買いたい
タテマエ→子供のために取っておく
ということは、この場合はいずれも意識の中で優越機能を使って判断しているわけです。
ところが3000万円が当たった夜、もし、そのダンナが1人でラスベガスを豪遊している夢でも見たとしたなら、まさにそれが彼の本音だったのかも知れません。
私たちは時折、
「私の本音を言わせてもらうとね・・・」
というふうな言い方をします。
しかしこの場合、これから話す内容を自分で意識しながら話すわけですよね。
ということは、それは無意識の領域から出て来た純粋な本音とは言えません。
意識によって加工、脚色されているはずです。
このように考えると、「正真正銘の本音をタテマエと切り離して自由自在に扱う」なんて、本来は不可能なことだと言えそうです。