「いやあ、俺って正直過ぎて、考えていることが顔に出てしまうんだよね」
と自慢だか言い訳だかわからないことを言う人がいます。
しかし頭の中の思いや考えというのは、それこそ墨か何かで顔に書かない限り、他人には伝わらないものです。
「あがる」理由がわかると、あがらなくなる
私は若い頃、ものすごく「あがり性」でした。
例えば大勢の前で自己紹介をしなくてはならない場合など、顔がこわばり、声がうわずる。
本当は気の利いたことを言うつもりだったのに、結局しどろもどろになって終わるという感じでした。
このあがり性というのは
「他人によいところ見せよう」
「人前で恥をかきたくない」
という気持ちから緊張し、ガチガチになってしまう状態だと言えます。
そういう意味では「緊張しやすいタチ」とも言えます。
でも、厳密に言えば「あがる」ことと「緊張する」こととは違います。
私は今でも緊張しやすいタチではありますが、たぶんもうあがり性ではありません。
なぜかというと、まずはトシを取ったこと。
今さら自分をカッコよく見せたいとも思わなくなったため、あがる理由がなくなったというわけです。
もう1つ、私があがり性でなくなった理由があります。
それは「あがる」ということの本質が理解できたからです。
この「あがる」ということの本質が理解できると、たいがいの人はあがらなくなります。
後でまた説明しますが、このことは心理学的にも証明されています。
人間の「他人を見る目」というのは案外フシ穴
若い頃の私は「他人によいところを見せよう」とするあまり、緊張してガチガチになっていたのは確かです。
でも、よく考えてみると、それが理由であがっていたわけではありません。
実を言うと何か重要なことをする場合、多少の緊張感はむしろ大切なことです。
まったく緊張しないで行うと、逆にケアレスミスが出てくるからです。
だから「ここ一番」という時には、少しは緊張して行う。
これを人は「身を引き締める」と言います。
ところが同じ緊張するにしても、余計な心配をすると「あがる」という心理現象につながります。
それはどういった心配かというと、
「自分が緊張しているのを他人に見透かされているのではないか?」
というものです。
人はどんなに緊張していても、そのことは絶対相手にはバレないという自信があれば、あがったりしないものです。
ところが若い頃の私は緊張すると、
「相手はきっと自分の心の中を見透かしているはずだ」
と思ってしまうクセがありました。
「ああ、心の中がバレてる・・・。
ああ、嫌だ、みっともないなあ」
そういう思いが自分を「あがった状態」にさせていたのです。
ところがある日のこと、私のこの「あがり性」を吹き飛ばしてくれる経験をしました。
それは20代終わりの頃、私が中途入社した会社の新人研修でのことです。
そこで私は同じ研修生たちを前にして、あるテーマについてホワイトボードを使って即興で説明をすることになりました。
その時はもう自分でも心臓の音が聞こえるくらいにドキドキし、自分で何を言っているかもわからないくらいに内心ではパニック状態でした。
ところがその後、それを見ていた先輩が
「未経験にしてはずいぶん落ち着いてやってたね」
と言ってくれたのです。
それを皮切りに同様の経験を何回も重ねているうち、
「どうやら人間の目というのは案外フシ穴で、誰も他人の心の中など見透かすことはできないようだ」
ということに気づいたのです。
それからというもの、私はあいかわらず緊張はするものの、昔のように「あがる」ということはなくなりました。
「心を見透かされている」というのは単なる錯覚
実を言うと、人には
「自分の心は周囲に見透かされているに違いない」
とカン違いしやすい傾向があります。
特にこれは人前で話す時など、極度の緊張状態になった時に出やすい傾向です。
それには理由があります。
自分の頭の中でいろんな思いや感情が渦巻きながら飽和状態に達してしまうと、
「この充満した心が頭の外に漏れ出ていかないわけがない!」
と考えてしまうのです。
つまり、洗面器に水を注いでいって、満タンになってもなお注ぐうちに水が外に漏れていく情景をそのまま「脳」という人間の器官にも当てはめてしまうのです。
これを社会心理学では透明性の錯覚と呼びます。
でも、これは文字通り「錯覚」に過ぎません。
時々、自分の性格タイプについて
「考えていることが割と顔に出てしまうんだよね」
と言う人がいます。
それはきっと「自分がいかに正直者であるか」をアピールしようとしているのでしょう。
でも、考えていることが顔に出るなんてことは基本的にありません。
ただ、そういうふうな気がするだけです。
これを様々な実験で証明したのがトマス・ギロヴィッチやケネス・サヴィツキーらの心理学者です。
その実験内容についての詳細は省きますが、一例としては次のようなものがあります。
被験者たちに1人ずつ聴衆の前でスピーチをしてもらうのですが、そのスピーチの前に「今、どのくらい緊張しているか」も聞いておきます。
そしてスピーチの後、彼らに「自分の緊張が聴衆に伝わってしまったと思うかどうか」を尋ねます。
一方、聴衆の方には「スピーチを行った被験者たちが緊張しているように見えたかどうか」を質問します。
この実験の結果をごく簡単にまとめると、次のようになりました。
ほとんどの被験者たちは実際に緊張し、「あがった状態」になってしまいました。
そして「自分の内面のパニック状態が聴衆に伝わってしまった」と思ったそうです。
ところが聴衆の方はというと、「ほとんどの被験者が落ち着き払ってスピーチをした」と感じたそうです。
その実験の第2弾として、今度は被験者たちに今上で述べた「透明性の錯覚」という心理現象について説明した後、スピーチに臨んでもらいました。
するとどの被験者たちもほぼあがることなくスピーチができたそうです。
相手も「あなたに見透かされている」と心配している
この「透明性の錯覚」という心理現象は知っていて損はありません。
たとえば今後、就職活動などで面接に行く人が多くなりそうな時期ですよね。
面接の時には緊張のあまり、あがってしまう人も出てくるでしょう。
例えば「自信のなさ」を面接官が見抜いてしまうのではないか・・・といった思いから、
「面接官はきっと自分の心のうちを見抜いているに違いない」
という「錯覚」を持つ人もいると思います。
しかし「透明性の錯覚」について知っていれば、別の考え方もできそうです。
面接の時、面接官の方だってあなたを前にして、頭の中でいろんなことを考えたり、あるいは計算したりしているはずです。
もしかしたら1人前の面接者とあなたとを比べ、
「あなたの方がよさそうだけど、ウチの会社は本命じゃないかもしれないな・・・」
などと考えているかも知れません。
そうやって頭の中が飽和状態になっている面接官こそ、実はあなたに自分の心の中を見透かされているんじゃないか・・・と心配している可能性があるのです。
それを知っていれば、逆にあなたの方から面接官に対して心理的な揺さぶりをかけることだってできるかも知れませんね。
最後に重要なことを書いておきたいと思います。
頭の中の思いが外に勝手に漏れ出ることはない、とわかった以上、逆に「しっかりと伝えたい」時には黙っていてはダメだ、ということです。
伝えるべきことは、ちゃんと言葉にすること必要があります。
(態度だけでは伝わらない・・・)
以心伝心・・・
美しい言葉ですが、あくまでも理想論だと考えましょう。