『性格理解の基本』からの続きになっています。
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「人の才能」について理解するには感覚(S)型と直観(N)型の違いを理解するといいでしょう。
そうすれば、子供の頃から苦しめられてきた様々な劣等感から自分を解放できるはずです。
「肉体感覚派」VS「インスピレーション派」
人間は常に自分の周囲から情報を取り入れながら生きています。
そうした「情報の取り入れ」を心理学では知覚(または認知)と呼んでいます。
その「知覚パターン」の違いをもとに、人間の性格タイプをざっくり2つに分けることができます。
それが感覚(S)型と直観(N)型です。
感覚(S)型の人
「感覚」とは五感、すなわち
「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚」
という5つの肉体感覚のことです。
こうした五感によって得られる情報を重視する人は、目や耳で確認できるリアルな物事に価値を見出す傾向があります。
だから、
空想より現実が大事だ!
という考え方を持っています。
まさに現実主義者だと言えるでしょう。
たとえば決算書を読むとか・・・
直観(N)型の人
これは、いわゆる
ピーンと来た!
というインスピレーションによって情報を得るタイプです。
現実の裏側にある真理、あるいは物事の本質などを察する能力の持ち主です。
現在よりも未来を重視し、現実より夢を追い求める傾向があります。
それゆえ理想主義者だと言えるでしょう。
「観察力の感覚(S)型」VS「洞察力の直観(N)型」
例えばギリシャに旅行し、有名なパルテノン神殿を見に行った場合・・・
感覚(S)型なら次のような感想を抱くでしょう。
ほう、立派な柱だな(と、実際に大理石の柱を手で叩いて感触を確かめる)。
これは直径2m、高さは10m以上ありそうだぞ。
でもいったい何本の柱が立っているんだろう(と、柱の本数を数え始める)。
確かにだいぶん劣化しているし、廃墟と言えなくはない・・・。
でも、クレーンなどの建設用重機もない2500年も前によくこれほど壮大な神殿を建設できたものだ!
このように現実的な建造物としてのパルテノン神殿に感動するでしょう。
直観(N)型なら次のように感じるかも知れません。
なんて美しい神殿だろう!
この立派な大理石のこうごうしさといったら感動的だな。
まるでギリシャの神々が舞い降りてきそうな雰囲気じゃないか・・・。
おそらくこの建造物に当時の人たちの理想の世界観が反映されているんだろう。
確かに今となっては廃墟かも知れないけれど、この古びた大理石の柱には何だか古代のロマンを感じさせるものがある・・・。
このようにパルテノン神殿にただよう歴史的雰囲気に感動するでしょう。
この例からそれぞれのタイプについて、次のようなキーワードを導き出せそうです。
●感覚(S)型→現実、観察力、客観的
●直観(N)型→理想、洞察力、主観的
だけど、そこから犯人像を推理するには直観(N)型としての能力も必要
感覚(S)型と直観(N)型のお互いへの不満
感覚(S)型と直観(N)型は時にお互いを誤解しあう場合があります。
感覚(S)型が直観(N)型に対して不満に思う点
直観(N)型の人たちは・・・
●夢みたいなことばかり言っている。
●苦しい現実から目をそらそうとする。
●普段から地に足がついていない。
●仕事を遊び半分でやっている。
●行動派というより理屈屋だ。
直観(N)型が感覚(S)型に対して不満に思う点
感覚(S)型の人たちは・・・
●想像力が貧困だ。
●常に現実にしがみついている。
●遊び心がなく冒険心もない。
●自分の哲学を持っていない。
●人の理想をバカにする。
「この人、おもしろいこと言うなあ~」と思われるのは直観(N)型
感覚(S)型と直観(N)型がデートしたら・・・
感覚(S)
型と直観(N)型の恋人どうしが食事をするレストランを選ぶ時、ちょっとした「いきちがい」が生じる場合があります。
舌が肥えていて食通の感覚(S)型の彼は
「こんな美味しいもの、初めて食べた!」
と彼女が大喜びしてくれると嬉しいな・・・
と考え、彼女を職人気質のシェフがいる、少なくとも味に関しては絶対にハズレのない店に連れて行きます。
一方、直観(N)型の彼女は
味も大切だけど、大切な2人の記念日だからこそ雰囲気のよいレストランで食事したいな
と考えるタイプ。
ところが連れてこられた店の内装がちょっと殺風景と言うか、あまり自分の好みではないため、せっかくの料理も「だいなし」だと感じてしまいます。
でも直観(N)型にとっては雰囲気によって味は変化してしまうんだ
モーツァルトの音楽と高性能のスピーカー
感覚(S)
型と直観(N)型の違いをよく表しているエピソードがあります。
有名な話なのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、ここでもご紹介しておきましょう。
モーツァルトの音楽について、感覚(S)型と直観(N)型の2人が感想を述べあっています。
直観(N)型の人はモーツァルトの音楽について
「魂にとどく音楽だ!」
などと熱く語っています。
感覚(S)型の人は直観(N)型の人がモーツァルトを熱く語るのを聞きながら、
それにしても、あのような性能の低いオーディオセットでモーツァルトを聴いて、よく平気でいられるものだ。
あんなスピーカーでモーツァルトの音色の深さがわかるとは思えないのだが・・・。
と内心、直観(N)型の人の聴覚に疑念を抱いています。
一方、直観(N)型の人は感覚(S)型の人に対して
モーツァルトが好きだとか言っているが、本当にその芸術性が理解できているのかな?
単にご自慢のスピーカーの音を確認したくてモーツァルトを聴いているだけじゃないのか・・・。
と、こちらはこちらで感覚(S)型の趣味をいぶかっています。
直観(N)型は音がもたらす雰囲気にこだわる
昔、学校の授業を受けるのは苦痛でしたか?
ここまでの説明を読んでみて、自分はどちらのタイプかだいたいわかったのではないでしょうか?
でも、もしかしたら「まだよくわからない」という方もいらっしゃるでしょう。
そういう方は子供の頃のことをちょっと思い出してください。
例えば小学生の時、授業をどんなふうに受けていましたか?
授業中、先生の話をじっと集中して聞くことができましたか?
もし、そうであればあなたは感覚(S)型の可能性が高いです。
なぜなら感覚(S)型の人は他人の話や周囲の出来事に注意をずっと傾け続けることが簡単にできるからです。
逆に、先生の話を聞いているうちに、ふと気づくと全く別のことを考えていたり、空想の世界に入っていた・・・なんて体験が多かった人は直観(N)型の可能性が高いです。
なぜなら直観(N)型の人は目の前の現実的な対象にずっと注意を傾け続けるのが不得意だからです。
これは注意力がないということとは少し違います。
直観(N)型の人の場合、何かを見たり聞いたりしていても、「そのもの」自体ではなく「そのもの」から飛び出てきた別の想念に注意が飛んで行ってしまうのです。
総じて言えば、感覚(S)型の子供や生徒にとって、学校で「型にはまった学問」を授けられるのは心地よいものです。
ところが直観(N)型の子供や生徒にとっては学校教育はしばしば「息のつまる場所」だったりします。
感覚(S)型→集中力はあるが、頑固
直観(N)型→気が散りやすいが、柔軟
子供の頃、学校の授業では先生の話を1分以上聞き続けることができずに苦労しました・・・
学校時代の例をもう1つあげておきましょう。
あなたは国語、特に現代文の読解問題は得意でしたか?
小説とかほとんど読んでいなかったのに、なぜか国語の読解問題では点がとれた
というのなら、あなたは感覚(S)型かもしれません。
小説をよく読んでいた割には国語の読解問題ではなかなか点がとれなかった
という人は直観(N)型の可能性が大です。
なぜなら学校時代の国語のテスト(特に現代文の読解問題)というのは、文章に書かれている内容を「いかに正確に、ありのままに受け入れられるか」を調べるためのテストだからです。
「あるがままに受け入れる」のが得意なのは感覚(S)型です。
逆に直観(N)型の人は現代文を読みながらも、そこに自分の思想や考え、感情を織りまぜながら読むクセがあります。
だから試験に求められる「読解力」からはずれた読み方をしてしまい、結局、国語の点数が取れなくなってしまうのです。
感覚(S)型→あるがままに受け入れる
直観(N)型→自分の思いを発展させる
感覚(S)型か直観(N)型かを見分ける基準はいろいろありますが、1つの例として「散歩の仕方を考えてみる」という方法があります。
これについては次の記事で詳しく書いています。