「性格テストの判定方法」からの続きです
このページは
自分の感覚世界にとじこもる、ちょっと頑固な「おたく」タイプ。
特殊技能の持ち主が多く、人類の進歩発展への貢献度は高い。
外からの刺激そのものより自分の中の感覚が大切
優越機能は「内向的感覚」
ちょっとバイオリンのコンサート会場を思い浮かべていただけますか。
バイオリン奏者は何かの曲を弾いていて、その演奏を聴衆が聴いています。
この場合、心理学的に考えると聴衆は2つのタイプに分かれます。
まず、バイオリン奏者が弾くバイオリンの音そのものに注意を傾けるタイプ。
(普通、大部分の聴衆はこのタイプでしょうね)
この聴衆たちは例えば次のようなことを思いつつ、演奏を聴いているでしょう。
使われているバイオリンはあの有名なストラディバリウスだそうだ。
さすがに名器だけあって、まろやかで深みのある音がするな。
この天才バイオリニストは名器の魅力を十二分に引き出しているぞ。
このように、刺激のもととなる対象(この場合ならバイオリン)に自分の感覚機能(この場合なら聴覚)をひたすら向け続けるのが外向的感覚タイプです。
これに対してバイオリンの音そのものより、それを聞いている自分自身の「心の中」の反応に関心を向け続ける人たちがいます。
こういう人たちは内向的感覚タイプです。
この内向的感覚タイプの人たちの心の中では、バイオリンの音を聴きながら次のような感覚が生じています。
このバイオリンの音色はまるでベルベットの柔らかな布地のようだ。
聴きながら心も身体も癒やされていく感じがする。
呼吸もラクになってきたし、なんだかリラックスしてきたなあ。
「だったらバイオリンそのものは重要ではないんだね?」
と疑問に思われるかも知れません。
これはちょっと違うのですが、一部当たっていることは確かです。
内向的感覚タイプの人も最初はリアルな感覚刺激が必要です。
しかしこのタイプの人はその時の「内部感覚」を自分の中に保存しておけるのです。
その感覚を何年でも覚えているし、また何度でも心の中で再現でき、心の中で楽しめてしまうのです。
もう少しわかりやすい例を出しましょうか。
「撮り鉄」という人たちがいますよね。
お騒がせな人たちということで時々ニュースにもなります。
彼らはそんなに鉄道が好きなら、いっそのこと鉄道会社に就職すればいいと思いませんか?
しかし、それだとあまりにリアル過ぎるんですね。
それよりも鉄道の写真を撮って、それを自分の部屋で眺める。
すると電車が走る時のガタンガタンという音が心の中でよみがえってきて、それと同時に10年前に東北を旅した時の車窓の風景までリアルに思い出されてくる・・・という感じでしょうか。
このタイプの場合、1回だけ実体験すれば、その時の感覚を自分の内部で何回でも再現できるので便利と言えば便利ですね。
ただ、こういう鉄道の「楽しみ方」が内向的感覚だということ
・・・と、ここまではナマケモノふうに内向的感覚を説明してきました。
しかしユング心理学において内向的感覚を説明する場合、普通は芸術家、特に画家たちの仕事を取り上げることが多いようです。
例えば同じ風景や同じ静物、同じ人物をテーマに絵を描くにしても、画家によって描き方は様々です。
ある画家はオーソドックスに空を青く描くかも知れませんが、別の画家は空を赤く染めるかも知れません。
あるいは濁った紫色に塗るかも知れません。
これは「目で見たまま」を表現することより、その色彩刺激が自分の心の中でどう反応したかを重視しているわけですね。
こういう感覚が「内向的感覚」なのです。
内向的感覚は「その人の心の中」で起きている主観的現象です。
だから他人にはなかなか理解してもらえません。
画家だって売れて有名になるまでは
「なんで空が黄色に塗られているんだ?
感覚がおかしくないか?」
などと酷評されたりします。
そしてその画家が有名になってくると、やっと世間の人たちから
「ほう、空を黄色に塗るとは、何て斬新な感覚をしているんだろう!」
などと絶賛されるようになります。
ただ最近、テレビで超リアルな水彩画の出来・不出来を競う番組がありますよね。
絵の上手なタレントたちが街の絵を描いて、誰が一番リアルに描けているかを比べ、才能の「アリ/ナシ」を査定しています。
あのようなリアル絵画は内向的感覚の絵と言うより、むしろ外向的感覚の絵だと言えます。
なぜ、内向的感覚の絵を描かせてランキングしないのかというと、それは客観的な評価が不可能だからです。
内向的感覚という主観の世界を客観的なスケールで査定するのは難しいのです。
だから視聴者にもわかりやすいように、あえてリアルな水彩画でランキングを付けるわけです。
さて、こうしたことを考えると、根っから内向的感覚タイプの人にとって、周囲や世間に自分を評価してもらうことがどれほど大変なことかが理解できるでしょう。
内向的感覚タイプが自分の中で起きている感覚現象をいかに人に伝えるか・・・。
これはこのタイプにとって生涯のテーマとなるはずです。
今の時代だとYouTubeやブログなどを使うという手もある・・・
ところで内向的感覚タイプは外向的感覚タイプと同じく理想とか理念、正義といった抽象的な概念には興味を示しません。
他人の気持ちや感情をあまり考えないところも外向的感覚タイプと少し似ています。
また「撮り鉄」のニュースを観てもわかるように、このタイプは自分の趣味が第一なので、他人から苦情を入れられても気にしない、という傾向があります。
内向的感覚タイプはおそらく他のタイプと比べてもかなり頑固なタイプです。
だから人から何か言われたくらいで萎縮したり、簡単に屈服したりはしないでしょう。
そういう意味では人類への貢献度はかなり高いタイプだ
現物を見なくてもデータや写真で満足できる人
すでに「撮り鉄」という言葉を出してしまいましたが、実際、いわゆる「おたく」とか、何々マニアと呼ばれる人には内向的感覚タイプがたくさんいそうです。
また、経理や会計を得意とする人には内向的感覚タイプが多いかも知れません。
こういう人たちは工場のラインや店舗に直接足を運ぶより、帳簿やバランスシートの数字を見た方が現実の経営状態をリアルに感じ取ることができます。
これは内向的感覚タイプ特有の優れた能力だと言えるでしょう。
また、統計学やデータ処理を専門にやっている人。
実生活はさほど行動的でも派手でもないけれど、数字をもとに世の中のすべてを解き明かそうとする人っていますよね。
そういう人たちも内向的感覚タイプです。
内にこもり過ぎると悪い予感に悩まされやすくなる
劣等機能は「外向的直観」
内向的感覚タイプの劣等機能は外向的直観です。
本来、この外向的直観は世の中や世間に対して「鼻がきく」能力のことを言います。
どちらか言えばポジティブな未来を言い当てる直観力を指す場合が多いです。
ところが内向的感覚タイプの場合、その外向的直観は無意識の中で抑圧され、劣等機能となっています。
それに加えて、もし内向的感覚にばかり意識が集中し過ぎると、無意識の中の外向的直観はますますエネルギー不足になります。
そして歪みが生じてきます。
その結果、この劣等な外向的直観はネガティブなものばかりを嗅ぎつけてしまうようになるのです。
しかも、しょせん劣等な直観なので、直観とは言っても単なる「邪推」であることが多いようです。
したがってこのタイプの劣等機能である外向的直観が動き出すと、本人はさまざまな被害妄想や不安感に苦しんだり、嫉妬心を起こしやすくなります。
内向的感覚に補助機能がからんでくると・・・
補助機能は「思考」と「感情」
内向的感覚タイプの補助機能は「思考」または「感情」です。
前のページでも述べたように、片方を補助機能として使っている人もいれば、両方を第1補助機能、第2補助機能として使っている人もいます。
《思考を補助機能として使う場合》
内向的感覚があまりに強くなってしまうと、思考は補助機能として働きにくいかもしれません。
なぜなら内向的感覚そのものが論理性も客観性も必要としない機能だからです。
このタイプの人が自分のことを皆に理解してもらいたいなら、逆に思考機能をしっかり使って自分の感覚をわかりやすく伝える努力が必要でしょう。
《感情を補助機能として使う場合》
感覚の面で波長が合う人とだけは楽しく付きあうけれども、それ以外の人たちとはまったく会話なし、という状態になりそうです。
いわゆる「おたくサークル」の仲間と一緒にいる時だけイキイキしている、という感じでしょうか。
このタイプには美的センスの優れた人が多そうなので、例えばモノ作りなど、何かクリエイティブなことを始めるのもいいでしょう。
ユング的なアドバイス
内向的感覚タイプの人は他の人とは少し違った感覚を持っています。
つまり「主観的感覚」というものです。
こうした独特の感覚は昔であればごく一部の天才しか世間で評価を得ることはできませんでした。
また天才であったとしても、たとえばゴッホのように死んだ後でやっと評価されるようになった人も多かったようです。
しかし現代ではかなり様相が変わってきています。
ネットなど新しいメディアの発達により、情報の伝達速度がゴッホの時代の何百倍、何千倍にも上がっているからです。
また、価値観の多様化によって、昔よりも主観的感覚が評価されやすい時代になってきました。
もし今、内向的感覚であることで「ちょっとつらいな」と思っている人がいるなら、自分の表現手段を持つことです。
繰り返しになりますが、今の時代、ネットを使えばそういったことはかなり簡単にできます。