「10円玉のどっちが表でどっちが裏か」問題、というのがありましたね。
実際、表と裏とがワンセットになっているものは「どっちがどっち」か見分けづらいものです。
同様に自分の優越機能と劣等機能も表裏の関係にあるため、「どっちがどっち」がわかりづらいケースがあります。
今回はこれを見分けるための重要な観点を解説します。
当たりまえ過ぎて有り難みを感じないのが優越機能
優越機能とは「子供の頃から当たり前のようにできていた」ために今さら有り難みを感じない機能のことだと考えてください。
たとえばあなたの優越機能は思考機能だとします。
するとあなたは小さい頃から合理的に物事を考えるのが得意だったでしょう。
「えっ、合理的に考えるって、当たりまえでしょ?」
とあなたは思うかも知れません。
しかし、世の中には合理的に考えるのが不得意な人もたくさんいます。
でも、逆にそういう人たちはその時の気分や好き嫌いの感情にしたがって考えるのが得意だったりします。
また、あなたは小学生の頃、授業中に窓の外をポケーッと見ながら何かを空想するのが好きじゃなかったですか?
先生の話を「うわの空」で聞きながら、20年後に宇宙飛行士になった自分が宇宙船を操縦しているシーンなどを思い浮かべたりしていませんでしたか?
もしそうなら、あなたは「空想するのが得意」な人です。
「えっ、空想癖なんて、むしろ生きていく上で障害になるでしょ?」
と感じるかもしれません。
でも、1年後のことはおろか、明日のことを想像するのさえ苦手な人はたくさんいます。
そういう人は「ちょっと想像すればわかること」でも、いちいち結果を見なくては納得できない人たちです。
そう考えるとあなたの空想癖はあなたの絶対的な強みです。
この場合、空想とか想像というのは直観機能の管轄なので、おそらくあなたの優越機能は直観です。
つまりあなたは直観タイプです。
最初に述べたように、優越機能というのは自分にとっては当たりまえすぎて、もやは有り難みを感じないような性格機能です。
努力しなくても自然にできるので、「やりがい」なんて感じられません。
だから自分でもすっかり飽きてしまっている場合があります。
また「こんな能力は何の役にも立たないだろう」「価値はないだろう」と思えてきます。
でも、優越機能があなたと正反対の人たちにとっては身に付けるのが非常に困難な機能です。
ということは、そういう人たちにあなたの「得意なスキル」を供与することを仕事にすればいいわけで、そうすれば価値を見出すことができます。
苦しい修行を続けても獲得困難なのが劣等機能
劣等機能についてはこのシリーズでずいぶん述べてきましたが、あらためて書いておきます。
劣等機能とは要するに4つある機能のうちで最も「幼稚でヤボ」な機能のことです。
これは以前の記事でも詳しく述べましたね。
表現を変えると、自分の中で「未進化」の状態にある機能だと言えます。
4つの性格機能というのはどれをとっても大切なものなので、本来ならまんべんなく使えた方がいいです。
ところが劣等機能の部分だけスコーンと穴があいたように欠落しています。
そこで何とかしようとしても、根本的に対処の仕方がわかりません。
どれほど努力しても、修行のようなことをやっても、欠けているものは欠けている。
その穴を埋めるのは困難です。
こうして、いつも自分の前に大きな壁となって立ちはだかるのが劣等機能です。
そういう観点に立てば、優越機能より劣等機能の方がわかりやすいと思いませんか?
だから自分の優越機能がよくわからないなら、まず劣等機能を特定すればいいのです。
劣等機能がわかれば、その反対側があなたの優越機能です。
劣等機能を優越機能だとカン違いするパターン
何度も言いますが、優越機能というのは本人にとっては「当たりまえ」過ぎて、すっかり飽き飽きしているような機能です。
そこで人はたいがい「やりがい」を求めて、ちょっと難しいことに手を出したくなります。
そうして劣等機能の魔界に踏み込んでいくことになります。
こういうのは「努力しない人生には価値がない」と考えている人に多いでしょう。
もっとも、私たちは子供の頃から
「壁を乗り越えることが大切だ」
「逆境に負けるな」
「苦しいことから逃げるな」
・・・と周りの大人たちからさんざん言われ続けて育ってきました。
その結果、私たちの中には「苦労しなくては一人前になれない」という固定観念に縛られている人もいます。
そういう人たちは難しくても挑戦しがいのあるテーマを見つけた時、「これぞライフワークだ」と思ってしまうです。
そしていつのまにかその困難な道が自分の優越機能を活かせる分野だと信じるようになっていきます。
もちろん困難に立ち向かうのは結構なことです。
なんでもかんでもあきらめるより、「もうちょっとがんばってみる」という精神は大切です。
でも、絶対に自分には向いていない領域で四苦八苦し続けても、人生を無駄に消耗するだけです。
自分の劣等機能から逃れられない原因
上述したように、自分の劣等機能の分野にハマり、消耗している人はたくさんいます。
しかし多くの場合、しばらく経つと本人も「ちょっと違うな・・・」と気づくものです。
これは人間が本能として持っている「自分の本質に気づく嗅覚」だと言えます。
中にはその嗅覚が動き出す前に誰かの助言を受けて自分の優越機能に気づく人もいます。
あるいは病気になったことなどがきっかけで、「今までの努力の方向は間違っていた」ということに気づく人もいます。
これはちょうど、前回の記事の私の知人のようなケースですね。
いずれにせよ、一時的に劣等機能の道を選んでしまっても、多くの人はいつの間にか優越機能の道に戻ることになります。
これが正常なパターンです。
ところが中には自分で自分の人生を修正できない人がいます。
あるいはせっかく道を修正せざるを得ないような出来事(たとえば大病になったとか)があったのに、それをスルーしてしまう人もいます。
それはいったい何が原因なのでしょうか?
これにはいろんなケースが考えられます。
ここで私が書くのは「ありがち」な1つの例です。
先ほど私は「人は本能的に自分の本質を気づく嗅覚を持っている」と述べました。
ところがそうした嗅覚がすっかり鈍くなっている人もいます。
その典型的な例が子供時代、親や学校の先生など周りの大人たちによって性格機能の素直な成長を妨害されたケースです。
たとえば物語を読んだり空想したりするのが大好きだという、とても夢見がちな子供がいるとします。
ところが周りの大人たちはその子どもに次のようなことを常に言いながら育てたとします。
「そんな夢みたいなことばかり考えていないで、現実を見なさい」
「ちゃんと学校の勉強をしないと、将来、いい生活ができなくなるよ」
つまり、その子は感覚機能、つまり自分の劣等機能の発達を強要され続けることになります。
一方、直観機能が優越機能であるのは生涯変わることはありません。
したがってその子は大人になってから、自分の優越機能が直観なのか感覚なのかがわからなくなるのです。
これがつまり先ほど述べた「自分の本質に気づく嗅覚が鈍くなっている状態」です。
こういう人は大人になってから「どう生きてゆくべきか」で悩むことになります。
また、自分の本質がよくわからないので、どんな仕事が自分に向いているのかもよくわかりません。
そういう人が自分の本質を知るための1つの方法として考えられるのが次の方法です。
子ども時代、努力しなくても自然にできたことを思い出す
それを思い出すことができれば、それこそが優越機能です。