他人を見てイライラすることってありませんか?
あるいはあなたの職場に
なぜかイライラする人っていませんか?
逆に、イラついた顔で
あなたを責めてくる人はいませんか?
何の心当たりもないのに、
あなたを攻撃してくる人っていませんか?
こうした「イライラ現象」は
ユング心理学の「影」の考え方で
うまく説明することができます。
今回はその「影」についてのお話です。
影とは自分として生きられなかった「もう1人の自分」
まず、次のような正反対の性格タイプについて考えてみましょう。
A:自信を持ってはっきりとものを言う性格だ
B:イジイジしていて自分に自信が持てない性格だ
大人の世界を見てみると、Aっぽい人もいればBっぽい人もいます。
でも、オギャーッと生まれた瞬間からいきなりAタイプだったとか、Bタイプだったなんて人はいません。
では、どうして大人になるにつれ、Aタイプの人とかBタイプの人に分かれてくるのでしょう?
これは幼少の頃に受けた教育やまわりの大人たちの影響でAまたはBを自分の個性として無意識のうちに選び取ってきたからです。
そうすることで「今の自分」を作り上げてきたとも言えます。
でも、大切なことが1つあります。
かりに今、「いかにもAっぽく見える人」であっても「何から何まで100%Aではない」ということです。
どんな人にも必ずB的な側面があります。
ただ、幼少の頃からそのBの個性が表に出ないように、自分の心の中に抑え込んできただけなのです。
「イジイジしているのは悪いことだ」
とばかりに、そうしたBの個性を自分の中で抑圧しているのです。
そうすることで、純粋な自信家のAになりきる努力をしてきただけです。
そして「自分の一部として認めてもらえなかったB」は今もその人の心の奥底に閉じ込められている、というわけです。
しかも本人は
「自分の性格はAだ」
と信じているので、自分にもB的側面があることに気づいていません。
このBのように、本来、その人の個性の一部であったにもかかわらず、幼少の頃からずっと抑圧され続け、本人にさえその存在を認知されていなかった個性というものがあります。
それをユング心理学では影(シャドウ)と呼びます。
言い方を変えれば、
自分として生きられなかったもう1人の自分
でもあります。
影にはいろんなパターンがある
「影」が生じる例を他にもあげてみましょう。
次にあげるAとBの相反する考え方をお読みください。
《例1》
A:社会常識からはみ出すのはダメだ
B:社会常識なんてクソ食らえだ
《例2》
A:人に甘えてばかりだと成長できない
B:甘えられる人がいると人生ラクだ
《例3》
A:勤勉こそ最高の美徳だ
B:ゆるい生き方が大好きだ
《例4》
A:人に頼ってはいけない
B:人の助けは借りるべきだ
心理学的な文脈で言えば、影が問題になる人というのはたいてい上のAを自分の個性として生きている場合が多いです。
つまりBがその人の影となっているわけです。
むりやり抑え込んできた影が問題行動を起こす
AとBを比べた場合、どちらが正義で、どちらが悪ということはありません。
単なる考え方や感じ方の違いです。
だからAとBの両方に理解を持った上で
「自分はAっぽく生きていこう」
と考えたのなら問題はありません。
あるいは時にA、時にBを演じるというように、両方を使い分けるのもいいでしょう。
でも、中には
「絶対にAが正しい」
「Bは間違っている」
という信念を持ってしまっている人がいます。
人がこういう考え方を持って成長してしまうのには原因があります。
例えば次のようなものです。
・幼少の頃から両親のしつけが厳しかった。
・家が極端に貧しかったために「人生は金だ」みたいな偏った価値観を持ってしまった。
・子供の頃からずっと「いい子ちゃん」を演じ続けてきてしまった。
こうした経験をしながら大人になると、異なる価値観を自分の中でうまく融合できずに成長してしまう可能性があります。
その結果、無意識のうちに「無視」し続けてきたBの部分がその人の影となるわけです。
人間、誰しも多少の影は持っています。
でも、自分の中でむりやり抑圧してきた影は本人も気づかないうちに問題行動を起こすことがあります。
影がイジメやパワハラの原因になる
たとえば子供時代に親からさんざん次のように言われ続けて成長したとします。
「いつも自信を持って生きなさい」
「イジイジしていてはいけません」
つまり、Aとして生きることを強要されてきたわけですね。
すると本人自身がAとBの違いをじっくりと比較検討する余裕がないまま成長したことになります。
だから親の意向に沿うため、とにかくBを自分の中に抑え込んだまま生きることになります。
その際、本人も
「人間は常にAとして堂々と生きるべきだ」
「Bみたいにイジイジしていてはダメだ」
と自分自身に言い聞かせながら生きているわけです。
でも、繰り返しになりますが、Bもまた本人の一部であって、決して消滅したわけではありません。
ただ本人はそれに気づいていないだけです。
さて、こういう人が幼少期を脱した頃、早くも問題行動を起こすようになります。
その典型的な例がイジメです。
小学生とか中学生になって、なぜか自分でもわからないけど、ある人を見るとイライラする、ということが起こるのです。
別にその人が自分に危害を加えたわけではありません。
また、その人から嫌みを言われたわけでもありません。
なのに、その人を見ると、なぜかイライラ、イライラしてくるわけです。
そして自分でも無意識のうちにその相手に対して暴言を吐いたりしてしまいます。
無意識のうちにその人を攻撃してしまいます。
これは子供の世界のイジメだけではなく、社会人なら職場における同僚に対する嫌がらせ、部下に対するパワハラ行為というカタチで現れます。
自分の影を他人に投影してイライラしている
ではなぜ、あるタイプの人を見ただけでイライラしてしまうのでしょうか。
実はこういう場合、その人は相手の中に自分の影を見ているのです。
これをユング心理学では投影と呼んでいます。
自分にとって、影はまさにイライラの対象です。
だからこそ、表に出さないように抑え込んできたわけです。
しかしそれを抑え込むにも限界があります。
かといって自分自身を攻撃するわけにもいきません。
そこで無意識のうちに自分の影を他人に投影し、その相手を攻撃するわけです。
もちろん、こういう人は誰かれかまわず自分の影を投影するわけではありません。
自分の影に似た部分をたくさん持っている人を無意識のうちに選び取り、そして攻撃している場合が多いです。
よく「他人は自分を映し出す鏡だ」などと言いますが、この場合がまさにそうです。
相手に対してイライラしているようで、実は自分自身に対してイライラしているわけですね。
しかしイライラされる側にしてみれば、これほど迷惑なことはありません。
何も悪いことをしていないのに攻撃されるわけですから・・・。
他人に投影した影を自分の中に引き戻す
もう一度申し上げますが、影はもともと自分の一部です。
しかしそれをむりやり抑え込んできたものだから、外に出よう出ようとしているだけです。
自分自身の問題なのだから、本来、自分自身で解決するべきものなのです。
でも中には他人をサンドバッグにして、その上に自分の影を貼り付けて、それをイライラしながら殴り続ける人がいます。
自分の問題を自分の中で解決できないのは、結局、その人自身がまだまだ未熟だからです。
さて、自分が未熟だと気づいたなら、他人に投影していた影を自分自身の問題として考え直す必要があります。
これをユング心理学では「投影の引き戻し」と言います。
人をみてなぜかイライラする場合、
「そいつが悪いからだ」
と考えるのではなく、自分の問題として考え直すのです。
自分はいったいその人のどの部分にイラだっているのだろうか・・・。
よくよく考えてみると、それは自分自身の影だということに気づきます。
これが投影の引き戻しです。
影を憎まず、影とともに成長する
最初のAとBの例をもう一度見てみましょう。
A:自信を持ってはっきりとものを言う性格だ
B:イジイジしていて自分に自信が持てない性格だ
一般論として、確かにAの個性というのは素敵な感じがします。
でも、24時間、家でも外でも常に自信家って、何だか不自然ではないですか?
また、そんな人って逆に魅力がなさそうにも思えます。
それより、たとえば日頃はシャイなのに、なぜか特定の分野になると自信たっぷりに行動する、という人の方が自然だし、おもしろかったりします。
何の欠点もない人より、欠点だらけの中にちょこっと光る部分を持っている人の方がかえって魅力的に見えたりするものです。
欠点があるからこそ、長所が輝く。
また、弱みがあるからこそ他人に対しても優しくなれます。
影というのはその人を立体的に見せることで、人間的な奥行きを作ってくれるものです。
逆に影がまったくなければ、
平べったい、つまらないだけの人間になってしまいます。
このように考えれば、自分が幼少の頃から無意識のうちに抑圧し続けてきた影の個性は嫌悪すべきものではなく、逆に愛すべきものだと言うことがわかるでしょう。
繰り返しますが、人は自分を映す鏡です。
人を見ることで、自分の本当の姿が見えてくる。
それが影の素晴らしい効用です。
影を自分の一部だと理解して認めること。
それによって人間として一段と成長できます。
自分の影と向かい合うことによって、もう、罪もない他人を傷つけることはなくなります。
また、イライラしなくなるので精神衛生上も有益です。