私たちは常に迷いながら生きている。
そしてその迷いを心理学的に説明されると妙に安心してしまう。
でも、そこに何か見落としているものはないか・・・。
そんな気になる問題を「心理学的」に考察してみました。
何の変哲もない日常にも心理学が満ちている
人間の行動というのはたいがい心理学の理論で説明できます。
そこで今回、ありがちな日常風景をストーリーにして、そこに心理学的な解説を加えてみたいと思います。
今日は本当にツイてない日だ。
クリスマスだというのにワガママな客から製品の修理を頼まれて呼び出しを喰らった。
そこであなたは同僚と2人で現場へと向かうことになった。
作業を終えると、あたりはもう薄暗くなっている。
クリスマスなので家族にケーキを買って帰る約束なのだが、酒好きの同僚が
「一杯だけやっていきますか?」
と誘ってきた。
「まあ、一杯だけならいいか・・・」
同僚の「一杯だけ」という誘い文句に負けてしまったあなた。
しかしこれはあなたが特別誘惑に弱い人間だからではない。
「一杯だけなら許される」と考えるのは誰にとっても自然なことだ。
これを心理学で「一杯だけ」バイアスと呼ぶことを知れば、あなたもきっと安心するに違いない。
しかしこの「一杯」という言葉、日本語では「たくさん」という正反対の意味にもなることを、この時点であなたはすっかり忘れている。
さて、いったん飲み出したら止まらない。
あなたと同僚はすでに2件目に突入している状況である。
そしてふと時計を見ると、すでに12時を過ぎているではないか!
「そろそろお開きに・・・」
と言いかけたあなたの言葉をさえぎるように
「最後にもう一杯いきますか?」
と同僚が言ってきた。
最後にもう一杯くらいならいいか・・・。
実はこの時点で終電に乗れば、後でバカ高いタクシー代を払わなくても済んだはず。
しかし「最後のもう一杯」だけなら終電だって待っていてくれそうな気がする。
こういうカン違いを心理学で「もう一杯」効果と言い、その誘惑に抗しきれない心理傾向を「もう一杯」バイアスと呼ぶ。
それを知れば、あなたも自分の意志の弱さに対して寛容な心を持てるはずだ。
さて、やっとお開きになって店を出たあなた。
もちろんすでに終電はなくなっている。
仕方ないのでタクシーを拾うことにしたが、あなたはタクシーよりも先に、誘惑の光りを放つ旨そうなラーメン屋を発見してしまった。
そう言えば今日は飲んでばかりでガッツリとは食べていない。
タクシーに乗り込む同僚と別れ、あなたは1人ラーメン屋に向かう。
ちょっと飲み過ぎて、胃はすでに死にかけているような気がしなくもない。
しかしラーメンを食べると元気が出そうな気がするのだ・・・。
こういうふうに飲み屋の帰り、ラーメンが「健康の女神」のように思えることを心理学ではラーメン効果と呼んでいる。
だから飲んだ後にラーメンを食べたくなるのは心理学的にも立証されているので、今後もあなたは「シメのラーメン」になんら罪の意識を感じる必要はない。
案の定、バカ高いタクシー代を払い、やっと自宅にたどりついたあなた。
もう家族全員、寝てしまったようだ。
胃がムカムカしているので、口直しに何かないかと冷蔵庫を開けたところ、甘そうな香りのする白い箱を見つけた。
中をのぞくと、なんと、クリスマスケーキだ!
そうだ!今日はクリスマスだった。
本当は自分がケーキを買って帰るはずだったのに、帰りが遅いから家族の誰かが買ったのだろう。
すると、これはその残りだ・・・。
ラーメンを食べ、もう腹いっぱいで吐きそうだが、クリスマスケーキなら食べられそうな気がする・・・。
それにクリスマスケーキを明日の26日まで残しておいてはクリスマスに対して失礼だ。
ここは責任をとって自分が食べなくては・・・。
すでに胃が悲鳴を上げているにもかかわらず、ワケのわからない理屈を並べて甘いものを食べてしまうことを心理学では別腹理論と呼ぶ。
その理論さえ頭に入っていれば、クリスマスケーキを買い忘れた上、夜中に甘いものを食べる罪悪感からあなたは解放されるはずだ。
専門用語バイアスという黄門様の印籠
まさか信じた人はいないと思いますが、上の陳腐なストーリーに出てきた「心理学の専門用語」はもちろん全部デタラメです。
でも、本当だろうがデタラメだろうが、多くの人が心理学に期待するのはこうした「専門用語」のパワーだったりするわけです。
人間である以上、欠陥だらけの生き物でもある。
行く先々で失態をやらかし、意図せず悪いことをやってしまう。
そういう場合、
「あっ、あなたの今の行為は心理学で言う〇〇理論で説明できます」
と言われると、自分のやってしまった悪行が実は人間一般が背負っている原罪から来るものであって、自分1人の罪ではないのだ・・・と納得できる。
そしてホッと安心するわけです。
なんとも心理学用語というのは便利で、ありがたいものですね。
だから心理学用語をふんだんに載せ、解説した書籍はよく売れるわけです。
で、私もこういう「ちょっと心理学的なサイト」を運営している都合上、当然、心理学用語を使わないわけにはいきません。
でも一応、単に専門用語の力に頼り切った書き方ではなく、その裏側にあるものをしっかり伝えたいと思いながら記事を書いているつもりです。
ともあれ、人は心理学に限らず専門用語というものには弱い。
なぜなら専門用語もまた「権威」の1つだからです。
こうして専門用語でまとめられると、人は黄門様の印籠を突きつけられたようにひれ伏してしまいます。
こういった「専門用語にひれ伏す心理傾向」について、私は勝手に
専門用語バイアス
と名付けてしまいました。
まあ、冗談半分に考えた私の造語ですけど、意外に真実を突いているのではないか・・・と思っています。
何々バイアスは人間のおバカな行為を正当化する
また最近、「〇〇バイアス」という専門用語があちこちに登場しています。
心理学で言うバイアスというのは、「よく考えれば不合理であるにもかかわらず、思い込みや偏見といった色眼鏡をかけた心の状態でものを見てしまうこと」を言います。
人間というのは神様のように完璧な存在ではないので、いろんなところでカン違いをしたり偏った考え方をしてしまいます。
こういうのを昔なら「人間ができていないからだ」と捉えて、人間修行の必要性が説かれたりしました。
でも最近は「お互いに許し合おうよ」という時代の空気感がある。
だから
「人間だもの、そう思ってしまうのも仕方ないよね」
と考える傾向があります。
そうした心の処理にアカデミックなお墨付きを与えてくれるのが「バイアス」という概念だと思います。
バイアスという言葉は私たちの間違った行動を許してくれる、まさに現代版の免罪符です。
こうして人が自分への言い訳に「バイアス」という言葉を使い、そして安心を得ようとする傾向に対し、私は最近、
「バイアス」バイアス
と、これまた勝手に名前をつけてしまいました。
まさに「バイアスの王者」だと思うのですが、皆さんはどのようにお感じになりますか?