人間は誰でも「思考、感情、感覚、直観」の4つの性格機能を持っています。
そのうち必ず1つは優越機能となり、それと正反対の性質を持った機能は劣等機能となります。
なぜ、このように優越と劣等の2つの機能が誕生するのでしょうか?
今回はこの疑問についてじっくりお答えします。
1つの機能がいち早く発達して優越機能となる
人間は4歳、5歳になってもまだまだ弱い存在です。
体力も経験もないし、お金も持っていません。
持っているものと言えば、(働きはまだ未熟ですが)思考、感情、感覚、直観という4つの性格機能だけです。
でも、この4機能すべてを使いこなすのはまだ無理です。
また4機能すべてを同時に伸ばそうとするのも効率が悪い。
そこでとりあえず見込みのありそうな機能を1つ選んで、それを伸ばそうとするわけです。
そしてたとえば思考機能が優れているなら、いつも思考機能に頼るようになる。
そうすると思考機能だけがますます発達していって、やがて優越機能として固定化されていきます。
優越機能が優越的に働けるのは劣等機能のおかげ
今まで何度か見ていただいた4つの性格機能の図をまたご覧いただきます。
上の図のように、思考と感情、感覚と直観はそれぞれ正反対の性質を持っています。
そしてたとえば思考が優越機能なら、感情は必ず劣等機能になります。
その逆もしかり。
また感覚が優越機能なら、直観は劣等機能となります。
その逆もまたしかり。
ところで優越機能ができるのは別に悪いことではありません。
しかしなぜ、その反対側の機能は劣等機能にならなくてはいけないのでしょうか。
「普通」の機能のままではだめなのでしょうか?
この疑問については家の冷暖房で考えてみるとわかりやすいです。
たとえば冬の間、暖房機能を使う場合、冷房機能は止めないといけません。
逆に夏の間は冷房機能を入れて、暖房機能は止めます。
片方を使う時、もう片方は止める。
これは一方の機能を効率的に使うためです。
性格機能もこれと似ています。
なぜなら思考機能と感情機能とは性格が正反対なので、両方のスイッチを同時に入れるわけにはいかないからです。
だから思考タイプは感情機能のスイッチを切ることによって、その思考機能を優越的に使えるのです。
つまりこういうことが言えます。
優越機能の力を発揮するには、反対側の機能は劣等のままにしておいた方が都合がよい。
劣等機能は抑圧されることで生まれる
暖房設備を効率的に使うには、冷房のスイッチを切るだけでいいです。
とても簡単です。
同様に、優越機能を伸ばすには反対側の機能のスイッチを切ればよい・・・と思いませんか?
ところが人間の「心」の場合、話はもっと難しくなります。
1つ例をあげましょう。
彼のことは大好きだけど、心を鬼にして彼の欠点を指摘した。
この「心を鬼にする」というのは感情機能をオフにするということです。
でも、これって一時的なオフなので、別に難しくはありません。
しかし「性格が思考タイプである」ということは、「一生涯、感情機能をオフにしている」ということになります。
こういうふうに自分の中の性格機能の1つをずっとオフにしておくのは大変なことです。
なぜなら思考、感情、感覚、直観のどれ1つとっても、人間の性格機能というものは非常に大きなエネルギーを持っているからです。
それは「冷暖房のスイッチを切る」といった簡単な操作ではありません。
では、1つの機能をオフにするには何をする必要があるのでしょうか。
実は私たちは無意識のうちに1つの性格機能を「力づくで抑え込む」ことによって、それを劣等機能の状態にキープしているのです。
この「1つの性格機能を力づくで抑え込む」ことを抑圧と言います。
劣等機能を抑圧し過ぎると問題が起きる
前の記事にも書きましたが、優越機能というのは人が「意識的」に使う機能です。
だから「意識の領域」で働いています。
逆に劣等機能は「無意識の領域」に抑圧されています。
ところで人間というものは、とかく自分の得意なことばかりをやりたがりますよね。
わざわざ不得意なことばかりをやりたがる人は少ないでしょう。
それは人が自分の性格機能を使う場合でも同じです。
たとえば思考タイプの人は優越機能である思考ばかりを使って生きていこうとします。
ところが1つ問題があります。
思考タイプの人が思考機能を「ほどほど」に使っているぶんには「問題なし」です。
でも、思考機能ばかりを使い過ぎていると、そのぶん、より多くの感情を抑圧しなくてはなりません。
こうして抑圧された感情は無意識の中でどんどん濃密になっていきます。
そして肥大していきます。
そのうち無意識の領域におさまりきれなくなり、劣等機能である感情が自分を主張し始めます。
その例をあげと・・・
思考タイプの人で、仕事で頭を使い過ぎ、カリカリしている人がいますよね。
この場合、優越機能の思考が過剰に働くのとは対象的に、劣等機能の感情はどんどん抑圧されていきます。
その感情が外に溢れ出てくるため、周りの人は皆、その人がカリカリしていることがわかるのです。
ところが本人は自分がカリカリしていることを「意識」できていない場合が多いです。
なぜならその「カリカリしている感情」は劣等機能なので、「無意識の領域」にあるからです。
優越機能と劣等機能とのバランスが大切
さっきの冷暖房の話のところで、「優越機能の力を発揮するために、反対側の機能を劣等のままにしておく」という話をしました。
これはとても大切な点なので、もう少し解説しておきます。
劣等機能は確かに「抑圧されている」と言えます。
しかし同時に、反対側の機能を優越機能として発達させるため、あえて「劣等機能になってあげている」とも考えられます。
こうした優越機能と劣等機能との調和したバランス関係をユングは補償と呼んでいます。
通常、補償とは損失や弱点を「他で補う」という意味です。
そういう意味で「補償」という言葉を使うなら、「優越機能が劣等機能を補償している」というべきでしょう。
でも、ユングは(『タイプ論』の中で彼自身も述べていますが)「補償」という言葉をもっと広い意味で使っています。
特に性格機能のところでは「劣等機能は優越機能に対する補償としての役割を持つ」という言い方をしています。
優越機能が「ほどほど優越」である限り、反対側の劣等機能もおとなしくしています。
この時、両者の間には「健全な補償」の関係が成り立っています。
ところが優越機能をもっと使おうとすると、そのぶん劣等機能をよけいに抑圧しなければなりません。
この劣等機能の過剰な抑圧が「健全な補償」を台無しにしてしまい、時にはその人の精神もめちゃくちゃにしてしまう場合があります。
これについては後の記事でまた詳しく述べたいと思います。