このサイトではよくHSPを取りあげています。
でも、これは決して今のHSPブームにのっかろうとしているわけではありません。
むしろ今のHSPブームにちょっとした腹立たしさも感じています。
HSPが認知されてきたことは嬉しい反面、誤解されていることも多いからです。
今回はこうしたHSPについての誤解を思いつくままにいくつか書いてみたいと思います。
医者や心理カウンセラーがHSPに詳しいとは限らない
HSPは病気ではありません。
その人が生まれ持った気質です。
「病気でない」ということは、基本、治療対象ではないため、医者が関与するべき領域ではないとも言えます。
とはいえ、海外では日本以上に精神分析等が普及しているため、日本の状況とは違うとも言えますが・・・。
ともあれ、日本においてはまだHSPという言葉さえ知らない医者もいる、という状況であることは認識しておく必要があります。
次に心理カウンセラーや心理セラピストなどと名のる人たちについてです。
この心理カウンセラーや心理セラピストというのはあくまでも職業名であって、自分の名刺に「心理カウンセラー」と書けばその日から心理カウンセラーになれるようなシロモノです。
確かに彼らの多くは大学や民間のセミナーで心理学を学んだ人ばかりだと思います。
また、中には心理学関係で唯一の国家資格である公認心理師という資格を持っている人もいます。
しかしそういう「専門家」が必ずしもHSPをよく知っているとは限りません。
そういうこともあって、医者が言ったり書いたりしたHSP情報、あるいは心理カウンセラーがYouTubeで語るHSP情報が正しいとは限らないと思っておいた方がいいでしょう。
自分のことを棚にあげてモノを言うようですが、単に再生回数を稼ぎたいばかりにHSPをとりあげるユーチューバーも多いです。
そういったことに注意しておく必要はあります。
芸能界で成功するのはHSPよりサイコパス系の人
最近、芸能人で自分がHSPであるとカミングアウトする人がちょくちょくいるようですね。
これもまた、はっきり言って私は疑ってかかっています。
そもそもHSPの本質というのは繊細であって、なおかつ照れ屋さん、つまり恥ずかしがりなのだと思います。
繊細+照れ屋(恥ずかしがり)という2つの要素がくっつくとどうなるか?
おそらく自分が繊細であることを恥ずかしがって人には言わないと思うのです。
つまり本当のHSPなら顔出し名前だしで「私はHSPです」とは言わないだろうということです。
だから自分がHSPだと「告白」している時点で、その芸能人はアヤシイ、というわけです。
実際、「ぼくはHSPです」と言っている某芸能人の告白動画を観ても、だいぶん違うなあ、と感じてしまいます。
なぜならその芸能人がアピールしている自分の性格とは、単に神経質だったり、いわゆる「気にしい」に過ぎなかったりするからです。
どうやら有名な心理カウンセラーからのお墨付きだそうですが、だったらその心理カウンセラーの見立てがおかしいのじゃないかな・・・とも思います。
私がHSPとは完全に対極にあると思っているのがサイコパスです。
サイコパスと言えば犯罪者のことだと思う人がいらっしゃるでしょう。
しかし実際にはサイコパス=犯罪者とは限りません。
サイコパスは100人に1人から数人いると言われています。
だからごく普通に職場やご近所にもサイコパスはいます。
このサイコパスの定義もまた難しいのですが、ごくごく簡単に言えば「怖がったり、恥ずかしがる感情が欠落している」という点でしょう。
重度のサイコパスが時に犯罪者になるのは、逮捕されたり死刑になったりすることへの恐怖感がないからだと言われています。
話を戻すと、サイコパスが活躍しやすい世界というのがいくつかあって、その1つが芸能界です。
芸能界ではメンタルが相当タフでないとやっていけません。
なぜなら芸能界というのは人気商売の極みみたいな職業ですから、常に人が自分をどう思っているかを「冷静に気にする」必要があるのです。
でも、それがHSPには絶対無理なのです。
HSPならSNSなどに自分への批判コメントがたった1つ来ただけでガーン!となってしまうため、そんな人は芸能界で3か月ともたないでしょう。
だから仮にも有名芸能人と呼ばれるポジションまで登りつめた人なら、HSPであるわけがない、と思うのです。
ただ、念のために言っておくと、芸能人は皆サイコパスだと言っているわけではありません。
あくまでも、どちらか言えばHSPとは対極の性格でなければ芸能界で長く生きているはずがないだろう、と思うだけです。
HSSと呼ばれるビミョーな領域の人たち
エレイン・アーロンによれば、HSPのうち約7割は内向型で、残り3割は外向型だそうです。
まあ、そうなんでしょうね。
そして最近、その外向型HSPについてはHSSという呼び方がされるようになってきました。
これはHigh Sensation Seekingの略です。
ご存じない方のために一応書いておくと、HSPの方は
Highly Sensitive Person
の略です。
訳すと「きわめて感受性の高い人」。
最後がPerson(人)で終わっていることに注意してください。
それに対して
High Sensation Seeking
を訳すと
「高度な感覚を追い求めること」
とでもなるでしょうか。
この場合、最後が「人」ではなく、「こと」になっているのがポイントです。
つまりHSPが「どういった人たち」という概念であるのに対し、HSSの場合はあくまでも行動様式のことを指しているということです。
だからHSPの中にHSSという固定したタイプが存在するというより、HSPの人が時に「HSSな行動をする」場合に、その行動形式をHSSと呼ぶのだというふうに考えた方がよさそうです。
HSSは日本語では一般的に「刺激探究型」と訳されます。
だったらSensitiveは使わず、
Stimulation(刺激・興奮)
という言葉を使って
High Stimulation Seeking
にすればいいのにと思ってしまいます。
なぜそうしないかというと、それでは本家のHSPから遠ざかり過ぎてしまうからでしょう。
「HSS」というのは、これを何が何でもHSPの中の1タイプに加えたいと考えている人たちが何だか無理やり作った言葉のように思えてしまいます。
先ほども触れましたが、エレイン・アーロンは「HSPの多くは内向型だが外向型もいる」と述べています。
でも、私はそもそもHSPという概念と「内向・外向」を一緒にして考えること自体、違うんじゃないかなあ、と考えています。
たとえばサッカー選手の中にも盆栽に興味がある人とない人とがいると思います。
でも、サッカー選手をわざわざ「盆栽好き」と「盆栽に興味なし」に分けたところで、いったい何の意味があるんでしょう。
それと同じことだと思うんですね。
「HSP=孤独好き」というわけではないので、そりゃあ、たまには外に出て友だちと遊びたいこともあるでしょう。
ただし、HSPの場合は親しい友だちと会った時でさえエネルギーの消耗が大きいため、その後は1人になって、できる限り刺激を絶って休息する必要がある、ということです。
その「友だちと遊ぶのが好き」の部分だけにスポットを当て、わざわざHSSという別タイプがあるかのように考えるのは何だかヘンだな、と思ったわけです。