「性格テストの判定方法」からの続きです
このページは
「人生は楽しむためにある」と考える快楽志向のリアリスト。
ポジティブなのはよいが他人の心情も配慮できるようになれば一皮むける。
日々、新しい刺激がなければ生きている気がしない
優越機能は「外向的感覚」
外向的感覚タイプはまさに現実主義者、リアリストそのものです。
だから何よりも体験を重視します。
頭だけで考えたこと、心だけで感じたことはこのタイプには存在していないも同然です。
しかし、このタイプがいかに体験重視だと言っても、それは経験の積み重ねを重視するという意味ではありません。
真に純粋な外向的感覚タイプの場合、いろんなことを体験したとしても、それらの経験を「経験則」というカタチで取っておくわけではないんですね。
だから経験を積み重ねても、それでスキルを磨こうという発想はありません。
また、何か失敗したとしても、それを教訓にして今後に活かそうとも考えません。
外向的感覚タイプの経験や体験にはそういった「学習効果」が存在しないのです。
では、このタイプはいったい何を求めて体験を欲するのでしょうか?
それはズバリ、今、この瞬間、自分の感覚を刺激で満たすためです。
このタイプにとって、経験とは自分の欲求を満たしてくれる刺激的なエンタテインメント以外の何ものでもないし、また、そうでなければならないのです。
そのために感覚機能を使っているのです。
外向的感覚タイプには理念、理想、思想、哲学といったものはありません。
だから「世の中はこうあるべきだ」などという話はこのタイプの口からは出てきません。
もし、外向的感覚タイプの人に
「あなたの人生哲学をお聞かせください」
とお願いしたら、おそらく
「は? テツガク? 何のお話?」
という答えが返ってくるでしょう。
だからどんな現実であれ、それが刺激を与えてくれるぶんにはそこそこ満足しています。
また、自らそういった刺激を求めて外に出ます。
もし何か不平不満を言うとしたら、せいぜい「今月はお金がなくて遊びに行けない」くらいでしょう。
だからこの外向的感覚タイプの人物を見て、
「心がない…」
と感じる人も多いようです。
また、失敗しても反省しないし、後悔もしません。
周囲から見ると、まったく意味不明なくらいにポジティブなのです。
気持ちの切り替えが上手と言えば言えますが、もともと「心がない」人だと考えれば、何でも割り切れるし、引きずらないというのも納得できます。
たとえば行きつけの美容院で、いつも指名している美容師がいるとします。
でも、その日の気分で別の美容師を堂々と(罪悪感もなく)指名してしまうのがこのタイプです。
そんな時、いつもの美容師が「あれ、今日はなぜ私を指名してくれなかったのかしら…」と浮かない顔をしていてもお構いなし、というか、そんなことは気づきもしません。
本人としては悪気はいっさいなく、ただ単にその時の自分の気持ちに素直に従っているだけなのですから。
逆に言えば、このタイプは昨日のことはきれいさっぱり忘れてしまうので、あなたがこのタイプの人の白いシャツの上にコーヒーをこぼして怒らせたとしても、明日になったらすっかり忘れているはずです。
つまり心情的なことはいつまでも覚えていないのです。
そういう意味ではこちらも割り切ってつきあえばいいのです。
見たまんま、それ以上でも以下でもない人物像
このタイプに関しては「イメージ的にこういう職業の人」というより、「いかにもその職業の人」と言った方がぴったりきます。
いかにも教師、いかにも政治家、いかにも医者、いかにも自動車整備工、いかにも冒険家、いかにも会社員、いかにもタクシードライバー、いかにも寺のお坊さん…
という感じの人が多いです。
見るからに「典型的なその職業の人」という雰囲気を持っていて、逆にそれ以外には何も感じさせないようなタイプす。
一般的に外向的感覚タイプは視覚的、聴覚的な情報に敏感です。
そして、このタイプが他のタイプより明らかに優れている点は「観察力」です。
たとえば昨日、たまたま道で出会った人がどんな服を着ていたか、どんなネクタイをしていたか、持っていたカバンのブランドは何だったか…などに関しては実によく覚えています。
これは先に述べた「心情的なことはすぐ忘れる」のとは正反対です。
現実を重視し過ぎて下手するとオカルトにハマる
劣等機能は「内向的直観」
外向的感覚タイプは体験重視と述べましたが、それ以前に感覚重視の人間です。
だから思想・哲学はないけれど、一般的にとても趣味がいい。
ファッションセンスはあるし、おいしい店をたくさん知っているし、映画や音楽にも詳しい人が多いです。
純粋な外向的感覚がより純度を増すと、このタイプの人は現実主義者というより快楽主義者、さらには享楽主義者となってしまいます。
本来、自分がいて、その自分が刺激を楽しんでいる、というのが普通ですが、このタイプの場合は逆になります。
つまり、まず刺激があって、それによって自分の存在が実感できる、というわけです。
これも程度によりけりですが、このタイプの人が外向的感覚に頼りすぎると、そのうち本当に刺激がなければ自分の存在確認さえできなくなってしまいます。
場合によっては肉体的にも大きい刺激を得なければ満足できなくなる人もいます。
これは外向的感覚の働きが過剰になってしまったからであり、「外部の刺激に溺れてしまって、自分自身を見失っている」状態です。
このタイプにとって外向的感覚は確かに優越機能ですが、その外向的感覚に偏重し過ぎると、当然、反対の性質を持つ内向的直観はますます無意識の領域に追いやられ、抑圧されていきます。
そのうちこの内向的直観はエネルギー不足に陥り、歪んだものとなっていきます。
すると、未来を予知するような直観力はますます減退していきます。
そして、あたかも幽霊の祟りを恐れているような不安感とか、得体の知れないものに対する敵対心などにとらわれるようになっていくのです。
しかし、このタイプはそうした否定的なイメージを自分の中で解決するのではなく、他人や周囲の環境、世の中に投影してしまうのです。
つまり自分が勝手に否定的な思いにとらわれているだけなのに、それを誰かのせいだと思い込んでしまうわけですね。
すると、今に悪いことが起きるのではないか、自分は呪われているのではないか…といった否定的な誇大妄想が湧き上がってきます。
そういう人は「運命改善」のために新興宗教に入会したり、宇宙エネルギーとやらのセミナーに出かけたりします。
こうした宗教体験を選ぶ時も、ただ瞑想するだけのような静かなものでは満足できません。
大げさな宗教儀式をともなうものだとか、あるいは滝行のように(文字通り)刺激的な「荒行(あらぎょう)」を好む傾向があります。
外向的感覚に補助機能がからんでくると・・・
補助機能は「思考」または「感情」
外向的感覚タイプの補助機能は「思考」または「感情」です。
前のページでも述べたように、片方を補助機能として使っている人もいれば、両方を第1補助機能、第2補助機能として使っている人もいます。
《思考を補助機能として使う場合》
外向的感覚タイプで、思考が補助機能として発達している場合、この思考はたいがい外向的思考でしょう。
だから主機能(優越機能)である感覚とは相性のよい組み合わせとなります。
ただ単に快感を追い求めるだけではなく、その体験の仕方になんらかの秩序をもたらしてくれます。
《感情を補助機能として使う場合》
この場合は「美」に対する目が開かれます。
美術品や骨董品関係の仕事、画商などの職業が似合いそうなタイプです。
ユング的なアドバイス
このタイプの人の周囲には、この人に振り回されている「被害者?」がたくさんいるはずです。
もし、あなたがこのタイプなら、そうしたことに気づいてあげる必要があります。