外向型と内向型ではどちらの人口が多いのか?
よく聞く話ですが、実はこれ、
背の高い人と低い人はどちらが多い?
という質問によく似ています。
つまり、考えること自体がナンセンスだということです。
その理由についてサクッと解説したいと思います。
内向型は少数派だという胡散臭いウワサ
今回は
外向型と内向型の人口比率はどうなっているのか?
というテーマについてお話しします。
これについては様々な説があります。
『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力』という本で有名になったアメリカ人弁護士、スーザン・ケインによれば、アメリカにおける内向型の人口割合は33%~50%だそうです。
そのスーザン・ケインの影響か、最近、日本でも一種の内向型ブームが巻き起こっています。
そして内向型に関する本がたくさん出版されています。
そういった出版物を開いてみると、
日本人の内向型比率は30%だ(?)
日本では内向型は外向型の3分の1しかいない(?)
などと書かれているものもあります。
日本では内向型の比率がずいぶん少なめに考えられているんですね。
しかもSNSでも「内向型って少数派らしいね」という噂が広がっています。
これはいったいどういうことなのでしょうか・・・。
また、そもそも世の中の外向型と内向型の比率はどうなっているのでしょう?
外向型か内向型かは比較の問題に過ぎない
そこでまず世の中における外向型と内向型の人口比率についてはっきりさせておきたいと思います。
実を言えば
外向型と内向型のどっちが多い?
という質問は、最初述べたように
背の高い人と低い人はどっちが多い?
という質問と本質的には同じです。
つまり「比較の問題」に過ぎません。
科学というのは客観性を重視しています。
その客観性の指標として大事にされるのが「数字」です。
だから人間の性格という、きわめてファジーな世界を語る場合でさえ、そこに統計的なデータという「客観性っぽいもの」を持ち込もうとするのです。
ところが前述の通り、外向型か内向型かというのは比較の問題なので、
このラインから上は外向、このラインから下は内向
と明確に線引きできるものではありません。
かりに1,000人を対象に性格検査をやったとします。
そしてAさん、Bさんの2人は明らかに外向型の範囲に入っていたとします。
ところがAさんは「ダントツ外向的」だったのに対し、Bさんは「そこそこ外向的」だったとしましょう。
この場合、内向的な人の目にはAさん、Bさんとも同じように外向型に見えるでしょう。
ところがAさんの目にはBさんは内向型に見えるかも知れません。
また、Bさん自身、Aさんを見て
「Aさんは外向型でいいなあ・・・」
などと羨ましがるかも知れません。
これがつまり比較の問題だということです。
確かに外向型と内向型の分布をグラフにすると、そのグラフの山に偏りが出てきます。
その偏りによって「外向型傾向の社会」とか「内向型傾向の社会」という分類はできるでしょう。
でも、外向型と内向型の人口比率を語るというのは、やはり「背の高い人」と「背の低い人」の人口比率を語るのと同じくらいナンセンスです。
だから考え方としては、
だいたい真ん中へんから片側が外向型、反対側が内向型
というふうに考えるしかないのです。
だからあえて表現するなら、
外向型と内向型の人口は同じだ
と言った方がまだ誤解が少ない上、ある意味、真実を突いているように思います。
学校教育の目的は外向型人間を育てること
これは最近になってよく言われるようになった・・・というか、ようやく皆が気付き始めたことなのですが、この世の中はだいたいが外向型向きに作られています。
外向型の人というのは
言いたいことがあるなら、誰もがそれを見てわかるように形にしよう
という根本思想をもった種族です。
逆に内向型の人には
言いたいことがあっても、それはうちに秘めて自分だけのものにしておこう
という根本思想があります。
世の中、つまり社会というところは多くの人が共同生活をいとなむ場です。
だから全員が共通して理解できるルールが必要です。
そういうルール作りのためには外向型の
何ごとも全員がわかるような形にする
という考え方の方が便利な一面があります。
こうした「外向型教育」はどこの国でも子供の頃から義務教育で徹底されています。
例えば小学校の時、先生が
わかった人は手をあげなさい
と言いますよね。
実はあれ、外向型の性格をはぐくむ教育なのです。
答えがわかっても、別に「ぼく、わかりました」と表明する必要はないじゃないですか・・・。
内向型ならそう考えるところですが、それが許されないのが学校における外向型教育です。
学校教育のプログラムというのは、基本、外向型の人間を育て、将来、社会で外向型の一員として生きていけるようにすることが目的です。
だからその「外向型教育」にぴったりマッチした人は大人になってからも社会、つまり「カイシャ」という場所でもうまくやっていけることになります。
外向型は「自分たちは主流派だ」と思っている
この世の中は外向型社会、いや、そもそも社会というシステムそのものが外向型の考え方を反映した空間だと言えます。
だからその環境の創造主である外向型の人は
自分たちはきわめて標準的な人間だ
と信じて生きています。
これはすなわち
自分は多数派に属している
と信じているということです。
だから外向型の人からすると、
この世の中は外向的な人の方が多数派だ
というふうに見えています。
そして時々、内向型の人を見つけると
おやっ、こんなところに少数派の人間がいるじゃないか
というふうに見えてしまうんですね。
「教育の力で内向型を外向型に変えられる」
と思っているんだよ
実際のところ、子供の頃からの外向型教育の「おかげ?」もあって、どの国にも
本当は内向型なのに、学校教育のおかげで外向型っぽくふるまえる人
がたくさんいます。
だから世の中の外向型の数は実際以上に多く見積もられがちです。
その一方、内向型をつらぬき通している人は異端視されやすいという傾向が出てきます。
内向型は「どうせ自分らは少数派」と思っている
外向型の人たちとは対象的に、内向型の人たちが
自分たち内向型は少数派だ
と思ってしまうのも無理はありません。
なぜなら外向型ほどエネルギーが目立たないので、その自分たちの「ひっそり感」が自分たちの「少数派意識」をはぐくんでしまうのでしょうね。
また、内向型の中には外向型のフリをしている「隠れ内向」みたいな人もたくさんいます。
そのせいで「明らかに内向型の人」の数はよけいに少なくなってしまいます。
こうした「少数派意識」のせいで、内向型の人はともすると外向型の人に対して「引け目」を感じがちです。
時には
自分たちは少数派の異端者だ
といった意識を持つことさえあります。
しかし、外向型と内向型の人口は同じだとわかれば、もう内向型の人は外向型に対して引け目を感じる必要はありません。
また、自分たちが社会の異端者だと思うこともなくなります。