愛着障害というのは子供時代だけで
終わる問題ではありません。
大人になってからも、
なお引きずる問題です。
そして愛着障害を抱えたまま、
人はやがて中高年になっていく。
その時になって、やっと
有効な方法があることに気づきます。
それは「克服」することではなく、
「卒業」することです。
安全基地になってくれる人を探せと言われても・・・
このサイトでもたびたび取りあげていますが、ここ最近、愛着障害という言葉をホントによく見かけるようになりました。
本来、愛着障害というのは思春期になる前に解決しておきたい問題なのですが、解決しきれず、それを大人になってからも引きずっている人が多いのが現状。
子供時代の愛着障害ならまだ診断法もあるし、エビデンスのある治療法も存在するようです。
ところが大人になっても残る愛着障害というのは精神科でもホントはお手上げなのではないでしょうか。
精神科医の書いた本やサイトを見てみると、たいてい
「恋人に安全基地になってもらいましょう」
「奥さん(ダンナさん)に安全基地になってもらいましょう」
などと書かれています。
でも、こういうのを読んで
「ちょっと待ってくれ!」
と思う人も多いでしょう。
なぜなら愛着障害を引きずる大人というのは、そもそも人間関係が不得意な人が多い。
だから結婚はおろか恋人づくりの段階にも至っていない人もたくさんいると思われるからです。
また、会社勤めの人に対しては次のように書かれている場合もあります。
「職場で安全基地になってくれる同僚を探しましょう」
そもそも愛着障害に悩む人の場合、就職しても長続きせず、職場を転々を変えるケースが多いようです。
そんな状態で安全基地になってくれる同僚を探すのはどだい無理な話です。
そういうことを知ってか知らずか、「愛着障害の専門家」のような看板を掲げながら
「安全基地になってくれる人を確保しましょう」
みたいな気休めにもならないアドバイスをする精神科医やカウンセラーがいます。
そういう「専門家」たちを見ていると、
「この人たち、愛着障害がわかっていないのではないか・・・」
と感じてしまいます。
愛着障害の穴は自己啓発本では埋められない
最近、ネットでも愛着障害についての記事が多いため、若いうちから「自分は愛着障害かも・・・」と気づける人が増えてきたと思います。
そういう人はネットで愛着障害の記事を探したり、アマゾンで愛着障害の書籍を探したりします。
一方、愛着障害という概念に出会えない人はどうするのでしょうか。
最近、気づいたことですが、いわゆる自己啓発本を読んだり、自己啓発セミナーに出かけたりする人というのは、ひょっとしたら愛着障害を引きずっている人なのかもしれませんね。
そう言えば、ひと頃流行ったスピリチュアル本などに救いを求めていた人も本当は愛着障害の持ち主だったのかもしれません。
しかし、愛着障害というものは自己啓発系の本やセミナーで解決できるものではありません。
本来は人(親など)から与えてもらうべきもの(本当の愛情)を与えられていなかったわけだから、そのために自分の中にぽっかり空いた穴を「自分のヤル気」で埋めようと思っても不可能なのです。
つまり、自己啓発に時間とお金と努力を注ぐというのはスジ違いだということです。
そう考えてみると、自分の今の生きづらさの正体は「愛着障害だ!」ということに気づくだけでも一歩前進、いや、数歩前進だと言えるでしょう。
中高年になったら愛着障害は自分から卒業する
若い頃に愛着障害を克服し終わることができず、そのまま問題を中高年になるまで持ち越した場合はどうなるのでしょうか。
というか、実際のところ、そういう人が今めちゃくちゃ多い気がします。
私もそうですが、中高年になってから「愛着障害」などという言葉を知っても、ただただ当惑するだけなんですよね。
すでに述べたように、「安全基地になってくれる人」などいませんから・・・。
では、今からどうやって克服するか?
愛着障害を抱える本人として、私が考えるのは次のようなことです。
この自分をそのまま受け入れる。
つまり、もう今さら「克服しよう」などとは思わない、ということです。
これは言い換えると、愛着障害の克服を「あきらめる」ということです。
「あきらめる」と聞くと、普通、「敗北」の2文字が浮かんでくる人も多いでしょう。
でも、違うんですよね。
愛着障害の克服を「あきらめる」というのは、「もう、そのことで悩むのはやめる」ということ。
つまり、その問題を自分の意志で手放すということです。
「ああ困った、これは問題だ!」
と思っているから問題なのであって、
「それはもはや問題ではない」
と割り切れば、問題ではなくなる。
「克服しなくっちゃ!」という「思い」や「こだわり」を捨てるわけです。
そうすれば心は解放されることになります。
これを私は
愛着障害からの卒業
と考えています。
そうやって自分で自分に卒業証書を渡すのです。
これは若いうちはまだ難しいでしょう。
逆に言えば、この「卒業」ができるのは中高年の特権かもしれません。
しかし若い人だって「一生、続くものではない」と思えれば、心もいくぶん軽くなるのではないでしょうか。