今回で劣等機能講座も第6回目を迎えることとなりました。
前回の記事は少し難しかったかもしれません。
そこで今回は私が今までに出会った人の中に感じ取った劣等機能について雑談ふうに書いてみたいと思います。
人は他人の劣等機能に薄々気づいている
今まで何度も述べてきたように、自分の劣等機能というものは意識しにくいものです。
だから自分のどこが弱点なのかがよくわからない。
ところがその劣等機能、意外にも他人にはよく見えています。
そして、その劣等機能を指摘すると相手がひどく傷つくことも、皆、なんとなくわかっています。
だから普通、誰もが相手の劣等機能には触れないようにしています。
ちょっと例をあげてみましょうか。
たとえば口達者で他人を論破するのが得意な人がいるとします。
その人に対し、面と向かって
あなたは頭は良さそうだけど、思いやりがないよね
などと言い放つ人はめったにいません。
これはその人が思考タイプであること、だから劣等機能は感情であることに薄々気づいてはいるけれど、それを指摘するのは気が引けるからでしょう。
また、ちょっとおせっかいだけど人の世話をやくのが大好きな人がいるとします。
その人に対し、
あなたは物事を論理的に考えるのが苦手だよね
と言う人もほとんどいません。
その人は感情タイプで、劣等機能が思考だということは何となくわかる。
でも、それをズバリ指摘すると相手がひどく傷つくことが予想できるからです。
また自分の理想をひたすら語る人に対し
そんな夢みたいなことばかり言っていないで、まず、一人前にカネを稼げよ
と(心の中では思っていても)口に出す人はめったにいません。
その人が直観タイプで、劣等機能が感覚だということくらい、前から薄々気づいている。
でも、この一言がその人に致命傷を与えることがわかるからです。
もう1つ例をあげておくと、流行ばかりを追いかけていて「自分は誰よりもセンスがいい」と思い込んでいる人がいますよね。
こういう人に対して・・・いや、これは書かないでおきましょう。
何だか滅茶苦茶ひどいことを書いてしまいそうな気がするから・・・。
劣等機能というのは本人にとってみれば、気づくのが恐い。
心の中のある部分が何だか影のように薄暗くなっていて、そこに光を当てるのが恐い。
だからできるだけ見ないようにしている。
それが劣等機能です。
ところが案外、周囲の人には自分の劣等機能が丸見えだったりします。
これは別に心理学なんて学んでいなくても、何となくわかるものです。
ただ、みんな指摘しないだけです。
なぜならその指摘が相手をひどく傷付け、その結果、人間関係が終わってしまうことをみんな知っているからです。
しかし時に人間は自分の劣等機能を自覚することで、成長することもできます。
「自分の欠点は人に指摘されて初めて気づくものだ」
「人から耳が痛いことを言われても、素直に聞いた方がいい」
こういう話を時々聞きますが、これも実は劣等機能のことを言っているわけです。
劣等機能を人生の中で大きくとらえる
今、上の文章では劣等機能というものを「性格の一部分」として説明しました。
しかし劣等機能を自分の人生の中でもっと大きく考えることも可能です。
・・・というか、単に性格診断の一部としてではなく、もっと大きな観点で劣等機能を考えた方が人生開運につながりそうです。
優越機能と劣等機能が人生にどう関係してくるかを次の例で考えてみましょう。
これは私の知り合いの話です。
彼は高校時代から「人生、いかに生きるべきか?」みたいなことでよく悩んでいました。
そして彼は大学の哲学科だか宗教学科だかに進み、そこでキリスト教や仏教、東洋哲学などを学んだそうです。
しかし大学での勉強や本を読んでの勉強には満足できず、彼は大学卒業後、インドに移住しました。
インドという「本場」に行けば、インド哲学の本質を徹底的に学べると思ったからです。
数年間のインド生活で英語やヒンディー語も少しは話せるようになり、しだいに彼自身、インド化していきました。
ところが困ったことに、せっかくインドまで来て本場のインド哲学やヒンドゥー教について勉強しても、彼にはそういった哲学的、宗教的な話がピンと来ない。
話のスジはわかるのだけれども、「だから何?」って感じだったそうです。
「自分の感性や能力では哲学や宗教の本質は理解できないのだろうか・・・」
挫折感を味わい、悩んでいるうちに、彼はしだいに体調不良になっていきました。
そしてついにインドの地で病気になってしまいました。
そして「もう日本に戻ろうか」と思っていた時、たまたまヨガ道場の前を通りかかったそうです。
何となくのぞいてみたら健康に良さそうだったので、彼はヨガを習うことにしました。
すると、今までインド哲学の本を読んでも話を聞いてもスッキリしなかったのに、ヨガで身体を動かしているうちに頭の中のモヤモヤが消え、健康もしだいに回復していきました。
「哲学や宗教を通して精神的なことを追求するより、肉体的な健康を追求する方が自分には合っている」
そう気づいた彼は日本に戻り、整体の勉強を始めました。
インド哲学を10年近く勉強しても、その本質がさっぱり理解できなかったのに、整体についての吸収力はとても早かったそうです。
開業すると、すぐに仕事も軌道に乗りました。
そして今では数か月先まで予約がビッシリ入るくらいのスゴ腕の治療家になっています。
彼は今でもあいかわらずインド好きです。
しかし現在の彼には宗教的な雰囲気はまったく見あたりません。
彼の口からそういった話が出てくることもありません。
この私の知人の人生の変化について、『タイプ論』的にはどのように考えられるでしょうか?
現在、彼は治療家として治療院を経営しており、日々、自分の手で患者さんの肉体に触れ、患者さんたちの体調不良を治してあげています。
医者ではないのでレントゲンなどの検査器具は使いません。
すべて自分の手の感覚が頼りだそうです。
こういうことができるというのは、彼が感覚タイプである証拠です。
ところが彼は高校時代から宗教や哲学にのめり込みました。
この宗教とか哲学というのは直観機能の分野です。
つまり若い頃の彼はなぜか自分の劣等機能を追求していたわけですね。
もしかしたら当時の高校時代の彼の友人たちは
なんでアイツ、ガラにもなく宗教だの哲学だのを勉強しているんだろう?
と不思議に思っていたかも知れません。
なぜなら先ほど述べたように、こういうことって周囲にいる人の方が気づきやすいからです。
でも、誰も彼に対して
方向性、違うんじゃないの?
とは言わなかったのでしょうね。
でも、当時の彼は「これこそが自分の生きる道だ」と信じていたのでしょう。
劣等機能をヒントに不運な人生を立て直す
人によっては小学生の頃にすでに自分の天性、つまり優越機能に気づき、得意なことをずっとやり続けて大成功する人がいます。
たとえば野球のイチローさんなどがそうですよね。
そう考えると、人間はいかに早いうちに自分に合ったスタートを切るかが大切だということがわかります。
ところが最初からそういう好スタートを切れる人ばかりではありません。
たとえば学校を卒業して最初に就いた仕事がまさに劣等機能の分野だった、という人は多いはずです。
「この仕事は自分には向いていない」
そう気づいて退職し、その後、転職してやっと自分の優越機能を活かせる職に就く、というパターンは多いでしょう。
それに似ているのが上に紹介した私の知人のケースです。
彼の場合は偶然、ヨガ道場の前を通ったことが、その後の人生を変えるきっかけとなりました。
これはとてもラッキーなことです。
きっかけは何であれ、自分の劣等機能に気づいて生き方を修正することは人生開運につながります。
しかし中には自分が今、自分の劣等機能に関わる領域に従事していることに気づかず、長い時を過ごしている人もいます。
そしてそういう仕事をずっと続けているうちに、人によっては病気になったり、どんどん貧しくなっていったりします。
確かに自分の劣等機能は気付きにくいと言いましたが、病気になったり貧乏になったりすれば、いくらなんでも気づきそうなものですよね。
それなのに、なぜ気づかないのか?
それには理由があるのですが、少し複雑な問題もからむので、また次回の記事で詳しく書く予定です。