今回は劣等機能講座の第2回目です。
この記事では前回の内容をもう少し具体的に説明していますので、読んでいただければ劣等機能のイメージがつかみやすくなるでしょう。
赤ちゃんは無意識で笑ったり泣いたりしている
まず、前回の復習を簡単にしておきましょう。
人は生まれたばかりの赤ちゃんの頃、無意識の状態にあります。
赤ちゃんにも思考、感情、感覚、直観の4つの性格機能はあるかも知れませんが、それらは「無意識の領域」にあるため、赤ちゃん本人には「意識」されません。
だから赤ちゃんにも「くすぐったい」という感覚はある
でも、赤ちゃん自身は「あっ、くすぐったい!」と意識して笑っているわけじゃないんだ
幼稚園に入るまでの間にそれぞれの機能は徐々に意識化されて行きます。
この時、まっ先に意識化された機能が優越機能です。
一方、いつまでたっても無意識の領域から抜け出ることができない機能は劣等機能となります。
「4つの機能」の図をもう一度ご覧ください。
思考と感情、感覚と直観は対立関係になっています。
だから思考が優越機能の場合は反対側にある感情が劣等機能となります。
逆に感情が優越機能なら思考が必ず劣等機能となります。
同様に感覚が優越機能なら直観が劣等機能、直観が優越機能なら感覚が劣等機能となります。
ここまでが前回の復習です。
自分の性格の中で進化できていない部分が劣等機能
優越機能は意識の領域にあるため、洗練された状態になっています。
これはたとえば自分の外見を常に「意識」している人はファッション感覚も洗練されてくるのと同じです。
人間というものは「意識」している領域については、ある程度、自分でコントロールできます。
そしてしだいに扱い慣れてきます。
一方、劣等機能は赤ちゃんの頃からずっと無意識の領域に放置されています。
だから「いざ、使うぞ」と思っても、日頃から使い慣れていないために使いこなせない、というわけです。
前回の記事の中で、「劣等機能は赤ちゃん時代とあまり変わっていない」と述べました。
その劣等機能の特徴をユングは次のように表現しています。
劣等機能は幼稚でヤボだ!
上述の「ヤボだ」という言葉について少し説明しておきます。
この言葉はドイツ語の原文では「archaïsch」、英訳本では「archaic(アーケイイク)」となっています。
この単語の辞書的な意味は「古くて時代遅れ」とか「古代の」という意味です。
だから「洗練されていない」ために「使いものにならない」という意味にも解釈できます。
これを私は「ヤボだ」と訳してみました。
ただし文脈によっては「原始的だ」と訳した方がぴったりの場合もあります。
ところでユング心理学の中にはarchetype(アーキタイプ)という概念があります。
これは日本語では元型と訳されていて、集合的無意識の構成体のことを言います。
(ちょっと話が難しくなりそうなので、わかったふりして読んでおいてください)
そしてよく見ると、この「archetype(元型)」という単語は上述の「archaic」と似ていますよね。
おそらくユングは「archaic」という言葉に「無意識の中にまだ放置されている」という意味を重ねているのだと思います。
なお、日本語訳の『タイプ論』は私の知る限りでは3種類あって、「archaïsch(archaic)」はそれぞれ次のように訳されています。
・高橋義孝 他訳 「古代的」
・吉村博治 訳 「原始的」
・林 道義 訳 「太古的」
ところで泣いている赤ちゃんを大人の知性であやすのは難しいですよね。
それと同じで自分の劣等機能を自分の意志でコントロールするのは難しいものです。
なぜなら劣等機能も赤ちゃんのように「幼稚」なので、こちらの言うことを聞いてくれないからです。
つまり劣等機能というのは自分の中で「大人になっても進化できていない性格部分」、だからこそ「コントロールしづらい部分」だということになります。
この記事では優越機能と劣等機能との違いを「洗練されている/洗練されていない」という言葉で表現しました。
でも、ユングが書いた『タイプ論』では「分化・未分化」という言葉で同じことが説明されています。
この「分化・未分化」については次の記事でわかりやすく説明しました。
思考タイプは感情表現が不器用で下手
では、思考タイプと感情タイプを例に劣等機能の特徴を考えてみましょう。
まずは思考タイプからです。
思考タイプとは、つまりこういうことです。
優越機能→思考
劣等機能→感情
思考タイプの人は合理主義者で、物事を論理的に考えるのが得意です。
また、彼らは疲れている時だろうが腹が減っている時だろうが失恋直後だろうが、考えなければならない時には「頭を切り替えて」考えられる。
まさに「思考機能を使い慣れている」人たちです。
ところがそんな思考タイプが時に感情丸出しで怒りを爆発させたり、人前でワーワー泣いたりすることがあります。
それを見て周りの人は
彼って冷静な人だと思っていたけど、あんがい感情タイプだよね
などと言ったりします。
でも、この見解は間違っています。
思考タイプだからこそ、逆に自分の感情をコントロールするのが苦手なんですね。
これは感情が劣等機能だからです。
感情が思い通りにならないため、実は本人自身、自分の「感情」の扱いに苦労していたりします。
ところで思考タイプの人って普段は冷静です。
だからまるで「感情のない人間」に見えたりします。
たとえばお葬式の場で皆が泣いているのに、1人だけ平気な顔をしている。
友人が失恋して死ぬほど落ち込んでいる時、何ひとつ優しい言葉をかけてあげられない。
こういう思考タイプを見て、「冷淡なやつだ!」と感じる人がいそうです。
でも、思考タイプだからと言って、感情がないわけではありません。
いや、それどころか実は感情タイプ以上に純粋な感情を持っていたりします。
なんせ感情面においては「まだ純粋な幼児のまんま」だからです。
たとえば感動的な映画を観て、1人でもらい泣きしているのは思考タイプだったりします。
また、思考タイプの人が亡くなった後、その遺品の中から心情を書きつづったメモ帳が見つかることがあるそうです。
それを読むと、まるで思春期の中学生が書いたような青くさい文章が書かれてあって、読んでいる方が小っ恥ずかしくなる場合もあるとか…。
そんな思考タイプがなぜ「感情のない人間」に見えるかというと、それは思考タイプの人が「感情機能が必要とされる場で、感情機能を適切に使えないから」です。
簡単に言えば、「ここ一番!」という時の感情表現が下手なんです。
逆に感情タイプの人なら落ち込んでいる友人に対し、その場で臨機応変に適切な言葉をかけてあげることができます。
それは感情タイプが自分の感情機能の扱いに慣れているからです。
感情タイプは物事を事務的に考えるのが苦手
次に感情タイプについて考えてみましょう。
感情タイプとは、つまりこういうことです。
優越機能→感情
劣等機能→思考
感情タイプの人たちについては
「考える能力のない連中だ」
「考えるってことをしないんだよね」
などという悪評がつきまといがちです。
でも、この「感情タイプは考えない」というのは大間違いです。
感情タイプの人たちは実によく考えるし、考えるのが大好きです。
たとえばそろそろ友人の誕生日が近づいているという時、感情タイプは
「どんなパーティーを開いてあげようか」
「どんなプレゼントを贈ろうか」
と実によく考えます。
こんな時には頭の中で、その友人が喜んでくれている姿を思い浮かべています。
こういうことを考えるのは、感情タイプにとってまさに至福の時間です。
でも、感情タイプが好んで考える対象というのは、もともと自分が興味を持っている分野に限ります。
興味のないこと、小難しく感じることを、「今、この場で考えてくれ」と言われると苦痛でしかありません。
つまり事務的に頭を切り替えて考えるのが苦手なんですね。
それはちょうど思考タイプが「ここぞ」という場で感情機能を上手に使えないのと同じです。
感情タイプも「ここぞ」という場で思考機能を「意識的」に使うのが苦手なのです。
こうした感情タイプの特徴が一番よく現れるのが試験の時かも知れません。
たとえば数学の試験の時、たとえ数学を考える気分じゃなくても頭を数学に切り替えなくてはなりません。
それを意識的にできるのが思考タイプです。
ところが感情タイプの場合、今どうしても数学を考える気分でないなら数学なんてやりたくありません。
ところで、こんなことを考えた人はいませんか?
思考タイプと感情タイプではどちらの方が頭がいいんだろう?
これについては一概には言えません。
なぜなら「頭がよい」の定義がはっきりしないからです。
ただ1つ、次のようなことは言えるかも知れません。
思考タイプの方が「試験」には強そうだ
なぜなら思考タイプの方がどの科目であっても好き嫌い言わず、均等に試験勉強ができそうだからです。
また、試験日の気分がどうであれ、その日が試験日なら頭を完全に試験用に切り替えられるのも思考タイプの強みだからです。
このことから私は「試験」というものは
頭のよい人を選ぶためのものではなく、結果的に思考タイプを選ぶためのシステムになっているのではないか
と考えています。