「性格テストの判定方法」からの続きです
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官僚や法律家、大手企業の社長など、社会の屋台骨とも言えるのがこのタイプ。
感情に流されず、例外を認めず、論理性、合理性を重視するのが特徴。
気持ちより論理を優先し、それを他人にも要求する
優越機能は「外向的思考」
客観的な事実、論理的な考え方(それをユングは知的公式と呼んでいます)、秩序に照らし合わせて善悪を判断したり、やるべきことを決定するのが外向的思考タイプの行動基準です。
このタイプはこうした行動基準を当然だと思っています。
だから自分だけでなく、他人に対しても同じ行動基準を要求します。
なぜなら「それがこの世の中の正義だから」とこのタイプは信じているからです。
このタイプは自分が考える行動基準を守り抜くために他人の基準、あるいは他人のよいところを頭から否定することがあります。
また、世界中の人間が例外なく自分たちの行動基準にしたがっていれば、全員が幸せになれるはずだと信じています。
上述の行動基準、つまりユングが言うところの知的公式は個々人の好き嫌い、快・不快よりも優先されるべきだとこのタイプは考えています。
その結果、個人への配慮は手薄になることになります。
もしその行動基準に違反するものがいたら、それは裏切り者であり、社会にとっては欠陥、お荷物になる存在だとみなす人たちもこのタイプの中にはいます。
その知的公式が十分な幅を持ったものであれば、このタイプの人は「改革者として社会に役立つ人間」となるでしょう。
でも、その知的公式が狭い場合は「単に口うるさいだけの人間」、「屁理屈を言う人間」になってしまいます。
すると周囲に窮屈な思いをさせるだけ。
社会的な貢献をするどころか害になってしまうことさえあります。
組織や制度を活用するのが得意な人たちが多い
外向的思考タイプの典型的な人物像は役人、法律家、裁判官、政治家と言ったところでしょうか。
経団連に属していそうな大手企業の社長もこのタイプの人が多いかも知れません。
これはあくまでもイメージですが・・・。
共通点としては社会のルールや秩序を大切にし、既存の組織や制度を上手に活用しながら人生設計をしていける人です。
劣等な内向的感情は不器用ながら純粋でもある
劣等機能は「内向的感情」
外向的思考タイプにおいては内向的感情が抑圧されています。
たとえば美に関すること、芸術的なこと、友情、宗教的なこと、情熱などといった非合理的な分野に対する「思い」は無意識の中に抑圧され、押し込められています。
だから「意識」による洗練がなされず、未発達な状態にとどまっているのです。
このタイプは普段からそもそも人の感情というものに関心を向けることがめったにありません。
自分の感情であれ、他人の感情であれ、そういうものは知的公式でとらえられないので、問題にしようという気にもならないのです。
だからもしこのタイプが何か感情を外に出すとするなら、それは「劣等機能である内向的感情」がたまたま無意識の中からあふれ出ていることになります。
それは洗練された感情表現などとはほど遠く、どちらか言うと幼稚で原始的な感情の暴走になりやすいと言えます。
外向的思考タイプにとって、「思考」は優越機能なのでカチッとした堅牢な印象があります。
ところが「感情」の方は劣等機能なので、無意識のうちにふわ~っと出てくるんですね。
だから何だか「骨がない」というか、「みみっちい」トーンがあったりします。
そして、その「感情」はどちらか言えば否定的な色合いを帯びていることが多いです。
つまり「不安」、「恐怖」、「気難しさ」、「怒り」、「悲しみ」、「恥じらい」、「感傷」といった種類の感情が出てきやすいと考えればいいでしょう。
それは自分の感情を「意識」の力で制御するのが苦手だから
ところがこのタイプの劣等機能である感情にも「よい面」というか「そう悪くない面」もあります。
「感情が無意識に出る」ということは、逆に言えば「感情面では打算がない」ということです。
意識の部分ではとても計算高く、常に損得勘定をしているのがこのタイプです。
でも感情表現には一種の純粋さがある、と言えます。
この人が喜んでいる時は本当に子供のように無邪気に喜んでいるのだろうし、怒っている時には決して見せかけではなく本気で怒っている、ということですね。
このタイプは優越機能の外向的思考がほどよく働いている場合は割と正義感の強い面が出て、「世のため、人のため」に働こうとします。
しかし外向的思考が行き過ぎてしまうと人間としての感情をますます抑圧するようになります。
すると無意識の領域に閉じ込めらた内向的感情が歪んだカタチで外に現れてきます
その場合の内向的感情には正義感が欠落していることもしばしばで、しかも本人はそのことに気づいていません。
一応、本人は「みんなのためだ」と言うものの、その言葉とは裏腹に本人の利己主義がからんでいることが多いのです。
そして自分の論理の「つじつま」を合わせるために不正な手段をとってしまうこともあります。
ただし本人には「悪いことをしている」という自覚はありません。
なぜならそれは無意識的にやっていることだからです。
時々、学者や研究者が実験データを捏造する事件が起こりますよね。
それがまさにこのパターン。
それがバレて精神が崩壊してしまうのも、意識的に自分の感情をうまくコントロールできないからです。
外向的思考に補助機能がからんでくると・・・
補助機能は「感覚」または「直観」
外向的思考タイプの補助機能は「感覚」または「直観」です。
前のページでも述べたように、片方を補助機能として使っている人もいれば、両方を第1補助機能、第2補助機能として使っている人もいます。
《感覚を補助機能として使う場合》
まさに現実主義者の極みとも言えるタイプです。
今、目の前で起きていることを「データ」として活用し、そこから論理的な結論を導き出すのが得意です。
しかしまだデータの揃っていない未来について想像をめぐらせるのは不得意です。
《直観を補助機能として使う場合》
「今後、どうなっていくか」を論理的に推測するのが得意です。
ところが今起きている現実を無視しがちなので、思わぬところで足をすくわれる危険性があります。
「論理的なものこそ理想である」という思い込みが強く、他人の話を聞かない傾向があります。
しかもその論理はあくまでも当人の個人的な考えに過ぎないことも多いようです。
ユング的なアドバイス
このタイプの人は常に論理的、客観的にあらゆる可能性を考慮し、その中から最善の選択肢を選んでいると思っているようです。
でもただ1つ、人の感情や気持ちの部分については大きく見落としている可能性があります。
「自分にはそういう傾向があるかも知れない」という考えを心のすみに持っておくことは大切です。
そこのところをよく心得ていないと、「気づいた時には周りは敵だらけ・・・」ということになりかねません。