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天職は探すものではなく、「これがそうだ!」と気づくもの

憧れの仕事≠天職

数多くのサイトや動画上で天職論、天職観が花盛りです。
しかし妙なことに、その語り手たちの多くは20代の若者ばかり。

でも本当のことを言えば、天職観というものは語り手が年齢を重ねるとともに変化していくものです。
今、断定口調で自分の天職観を自信満々に語る若者だって、10年後、20年後には自分の主張をきっと修正することになるはずです。
なぜならそれが「生きる」ということだからです。

ところで天職について非常に雄弁な若者たちに比べ、なぜか私のようにアラフィフ以上の人間は天職についてほとんど何も発信していません。
私だってもっと上の世代の人たちの天職観を聞きたい。しかし、彼らの口からそれを聞くことはないのです。

高齢者になるほど天職について語らなくなるのは、おそらく「もう今さら…」という気持ちがあるからだと思います。
でも私はあえて今、「何度もアップデートを重ねてきて、今、アラフィフだからこそ言える天職観」について書いてみたいと思いました。
もしかすると、それが天職探しに悩んでいる20代の人たちの役に立つかもしれないからです。

 

 

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ときめく仕事は天職ではない

 

片付けコンサルタントのこんまりさんじゃありませんが、皆さんは仕事に「ときめき」って必要だと思いますか?

できることなら誰もが心ときめく仕事がしたいでしょうね。
しかし、少なくとも天職に関して言えば「ときめき」は関係ありません。

逆に言えば、ときめきを感じるような職業があったとしても、それは決してあなたの天職ではありません。
もし運よくその仕事に就けたとしても、いずれ幻滅し、それでも続ければ心身ともに消耗してしまうことでしょう。

 

 

天職ってやつは「いかにも天職ではないフリ」をして現れる

 

私が思うに、天職ってやつは結構イジワルな連中です。
いかにも「わしゃ、おめえの天職なんかじゃねえぞっ」って顔で現れるんですね。

自分としても、その仕事を見て何のトキメキも感じない、ましてや「運命の出会い」感もない。だから無視してしまい、ウカツにも通り過ぎてしまうのが天職ってものなのです。

ただ、事情があってその仕事に就かざるを得ない場合がありますよね。それはとってもラッキーなパターンです。
何しろ何の努力もしないで棚ぼた式に天職が自分の手に転がり込んできたわけですから。

しかし多くの場合、本人はそれが自分の天職だとは気づかないので、全然ありがたみを感じないし、感謝もしません。

もっと最悪なのは、せっかく天職に就きながら、「もっと素晴らしい職業があるかも」と思ってその仕事をやめてしまうことです。そして別の(合わない)仕事、それもうっかりトキメキを感じてしまった「単なる別の仕事」に転職してしまうのです。

それで後悔することになるのですが、そうしたミスを犯さないための方法について書き留めておきたいと思います。

 

 

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「憧れの職業」「憧れの人がいる職業」は天職ではない

 

ここで述べるのは「天職でない仕事」を自分の天職だとカン違いしないための方法です。
「ときめく仕事は天職ではない」と述べましたが、これをもっとわかりやすく、2つのパターンに分けて説明します。

 

①「憧れて就いた職業」は天職ではない

たとえば政治家の中には子供の頃から作文などに「ぼくは大人になったら、そうりだいじんになって日本をよくしたいです」などと書いた経験のある人が多いようです。

そして実際、そういう人は選挙に出て偶然1回くらいは当選できたりします。しかしその後が続かず、「元衆議院議員の誰々さん」などという肩書きで現在はタレントとして活躍しているケースをよく見かけますよね。

ところが親が政治家で、本人としては政治家なんてまったく憧れの職業でもないし、できれば他の職業に就きたい、でも結局、仕方なく政治家になった…なんていう人に限って総理大臣になったりするものです。
その人たちの政治家としての能力はさておき、やはりその人にとっては政治家が天職だったのですね。

もし、あなたが「あの仕事をやってみたい。あの仕事は私の憧れだ」などと思った場合、努力をすればその仕事には就けるかもしれません。
でも、それがあなたの天職である確率はかなり低いということです。

 

②誰かに憧れて就いた職業は天職ではない

先ほどの政治家の話で言えば、もし政治家になって「あなたが目標とする政治家はいますか?」と記者に聞かれたとしましょう。
すると一応、リップサービスもあるので「そうですね、上杉鷹山ですかね」などと殊勝なことを言うかもしれません。

上杉鷹山を手本とするのは全然かまわないのですが、もしリアルに憧れの政治家、目標とする政治家が実際にいて、そのセンパイ政治家に憧れているのであれば、政治家という職業はたぶんあなたにとって天職ではありません。

どんな職業でも同じことですが、もし同じ業界のなかに憧れの人がいて、一歩でも近づきたいと思っている人がいるなら、あなたがそのレベルに達するまでにはまだ多くの課題があるということです。
そしてその課題というのは他人に憧れているうちは決して解決できない仕組みになっているのです。

政治家の話に戻すと、もし政治家という仕事が本当に天職なら、かりに本人は天職だという自覚がなかったとしても、また、親が政治家だから仕方なく政治家になっただけだったとしても、初当選したその日から「将来、総理になるのはどうやら自分しかいないみたいだ」と思えるはずです。
将来、総理になるはずの自分に憧れの政治家などいるはずがありませんから。

 

 

夢中にはなるけど、がんばっている意識はない。それが天職

 

天職というものは「憧れの仕事ではないが、やってみると意外に自分に合っている」という職業です。

憧れていたわけでもないし、さほど努力してなった職業でもないので「少々なめてかかれる仕事」ではあるものの、案外、嫌いじゃない仕事。

これが天職というものでしょう。

でも、やはり仕事だから、いったんやるとなったら夢中にはなるわけですね。
でも本人的には単に夢中になっているだけで、努力しているとか、ガンバッテイルという自覚はまったくないわけです。

 

 

天職は見つけるものではなく、気づくもの

 

私はこのサイトで『天職の見つけ方』についていろいろ書いていますが、実のところ、意識的に探したって見つかりっこないのが天職なのです。

天職というのはすでにあなたの周りにあって、あなたが気づくのを待っている可能性さえあります。
そして、それが天職であることに気づくかどうかが問題なのです。

そういう意味で天職とは「それが天職だと気づくもの」なのです。

 

この天職観は若い頃からアップデートを重ねてきた末に、今、アラフィフになって私がたどり着いた天職観です。

20代の人が抱く天職観のような気負いはないと思いますが、トシとともに上昇志向が薄らいでくると、多くの人がだいたいこのような天職観に落ち着くのではないでしょうか。
ただ、それを言わないだけで。

 

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