雑記(未分類)

地道でもなく大それた夢も追わない令和の生き方

令和時代の仕事選び

 

地道に生きるのが大切なのか?

それとも夢を追うのが素晴らしいのか?

そのいずれでもない令和の生き方について考えてみます。

 

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中島敦の『山月記』とは正反対の短編小説『名人伝』

 

明治の終わりから昭和の初めにかけて生きた中島敦という小説家をご存じですか?

『山月記』の作者だと聞けば思い出しますか?

この小説、国語の教科書なんかにも載っていましたよね。

ちなみに『山月記』のストーリーを少し書いておくと・・・

 

舞台は唐の時代の中国。

日本で言えば東大を首席で卒業して財務省に入ったような秀才が主人公です。

彼はエリートでありながら役所の仕事に魅力を感じられなかったため、仕事を捨て、詩人になる志を立てました。

ところがいくら頑張って詩を書いても詩人としての名は上がらず、最後は発狂して虎になってしまう・・・という内容です。

 

今の時代で言えば、例えば会社をやめてミュージシャンを目指したものの、一向に曲が売れずに貧乏生活が一生続くようなものですね。

 

 

中島敦の作品の中で、この『山月記』と正反対のストーリーとなる短編小説があります。

それが『名人伝』です。

 

この『名人伝』もまた大昔の中国が舞台。

天下第一の弓の名人になろうと、これまた志を立てた男の話です。

 

その男は自分の夢を実現するために有名な弓の名人のところに弟子入りします。

するとその名人の師匠は男に1つの課題を与えます。

「まばたきしない練習をせよ」と。

男はその日以来、目を閉じるということを一切やめました。

夜、寝る時も目を開けたままです。

 

2年経ち、もう一生涯、目を閉じない自信が付いた男は再び師匠のもとを訪れます。

すると師匠は新しい課題を男に与えました。

「小さなものを見続ける練習をせよ」と。

家に帰った男はシラミを髪の毛に吊し、来る日も来る日もそれをずっと眺めて暮らしました。

もちろんまばたきせずに。

 

そして3年経った時、ふと気づくと吊しておいたシラミが馬ほどに大きく見える。

外に出ると人が巨大な塔に見える。

馬は山に見える。

つまり、あらゆるものが大きな「的」に見えるという状態。

5年間の目の基礎訓練のおかげで、もはや適当に矢を放っても必ず的に当たってしまうというレベルに達したわけです。

 

そこでそれを師匠のところに報告に行くと、やっと師匠に入門を許可され、そこから本格的に弓の修行に入っていった・・・という話です。

 

ちなみにストーリーはまだ続きます。

続きが気になる方はネット上でも読めますので検索してみてください。

 

 

なぜ『山月記』だけが教科書に採用されるのか

 

さて、ここでちょっと考えてみたいことがあります。

なぜ『山月記』は学校の教科書に採用され、『名人伝』は採用されないのか、という疑問についてです。

 

『名人伝』では夢を追い、たゆまぬ努力をし続けることの大切さが説かれています。

それに対し、『山月記』は「夢を追ったら失敗するよ」という内容です。

 

若者に与えるテーマとしては、どう考えたって『名人伝』の方が妥当だと思いませんか?

でも、そこをあえて『山月記』を選ぶところが日本の学校教育というやつです。

 

 

実際、誰も彼もが会社勤めや役所勤めを避け、ミュージシャンや役者を目指してしまったら日本は滅びてしまいます。

 

それに学校教育の主旨というのは優秀な凡人を育成することであって、天才を育てることではありません。

 

▼この学校教育の件については以前も記事にしましたので、ご興味がありましたらお読みください。

学校教育の正体
学校教育の目的は万能の凡才を大量生産することである 学校で三角関数とか習ったけど、 今思えばまったく意味なし! 古文とか漢文とか社会に出たら 必要ないじゃん! ...

 

 

国の考え方としてはミュージシャンとかを目指すより、日本社会に直接的に役立つ人材になってほしいという気持ちからの教材選びっていうのがあるんだな・・・と思われます。

 

では、一方、われわれ職業を選ぶ立場からすると、途方もない夢を追うというのはいかがなものでしょうか。

 

『山月記』の主人公のように、自分の才能を信じて安定的な仕事を捨ててしまうという生き方はどんなものでしょうか?

 

実は昭和時代であれば、『山月記』的な生き方もそれなりに「よし」とされたかも知れません。

しかし今の時代では「なにバカなことやってんだ!」ってなもんでしょう。

 

また『名人伝』の主人公のように自分の志しを実現するため、長年月、修行に打ち込むという生き方も最近ではあまり流行っていません。

 

では、私たちはこうした作品から何を学ぶことができるのでしょうか?

 

 

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せいぜい3年で軌道に乗る仕事を選ぶのがいい

 

現代に生きる私たちは『山月記』や『名人伝』から何を学べるのかというと、私は

「何も学ぶものはない」

と思っています。

 

わざわざここまで上の2作品を引っぱっておいて「何を言うか」と思われそうですが、過去がまったく参考にできないというのが今の時代です。

 

現代社会における仕事選び、人生の選択というのは『山月記』的でもなければ『名人伝』的でもありません。

その両方とは違う生き方こそ、一番いいのではないかと思います。

 

つまり、『山月記』の

「大それた夢など追わず地道に働け」

というメッセージには従わない。

 

また、『名人伝』の

「夢を追って努力し続けなさい」

というメッセージにも従わない。

 

これがこれからの令和の時代の生き方だと考えています。

 

 

では、どんな仕事を選べばよいか。

どんな生き方をしたらよいか。

 

私が考えるのは次のような生き方です。

「3年も頑張れば軌道に乗る仕事を選んで生きていく」

 

それが今の時代の仕事選びであり、生き方だと思います。

これは従来の適職選びという考え方とは少し違います。

 

もうちょっと説明したいところですが話が長くなりそうなので、また稿を改めて書いてみたいと思います。

 

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