雑記(未分類)

神田沙也加さんの訃報に触れて思ったこと

聖子と沙也加

 

一昨日、歌手の神田沙也加さんがお亡くなりになりました。

それも35歳という若さで。

実を言うと、私は常々、「今、自分が40歳以前なら自分の人生は前途洋々なのに・・・」と思っている人間です。

それなのに、その40歳にもならないうちに自ら命を絶ってしまう人もいる。

残念なことです。

 

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まさに母親ゆずりの歌唱力

 

神田沙也加さんの訃報を知った時、私は別に彼女のファンではなかったけれど、思わず「えっ!」と声をあげてしまいました。

 

沙也加さんを語る時、母親との確執と和解がどうたら・・・という話は芸能ニュースっぽいので取りあげたくはありません。

でも、この母娘の問題のベースにはこのサイトのテーマの1つである愛着障害の問題があったのかも知れません。

もしそうだとすると、「確執と和解」などという陳腐な言葉では語れない、それなりの苦しみが本人にはあったんだろうと思います。

 

 

沙也加さんは35年間の人生の中で恋愛にも積極的だったそうで、マスコミはこれを母親の聖子さんのDNAだと伝えることが多いようです。

確かにそうとも言えるでしょう。

でも、それ以上に歌唱力の素晴らしさこそ「母親ゆずり」なのではないか・・・。

それを伝える芸能マスコミはあまり見かけませんけど。

 

 

私は松田聖子さんがまだアイドルだった頃からテレビで観ていました。

それだけに彼女の娘さんが歌手となり、しかもその歌唱力が尋常ではないと知った時、

「そりゃ、そうだろうなあ・・・」

と思ったものです。

 

これをDNAと言わずして何をDNAと言うのか・・・。

そう思うと同時に、その沙也加さんを産んだ聖子さんの歌唱力をあらためて「やっぱり本物だったんだ!」と感じたものでした。

 

 

熟年、松田聖子の『赤いスイートピー』

 

こうやって書いていると、まるで私が松田聖子ファンであったと誤解されかねません。

しかしはっきり言って、私は彼女のファンでもありませんでした(娘と同様)。

 

かつて松田聖子という人はまさにアイドル中のアイドルだったものの、それ以外のアイドルとは明らかに違う概念のアイドルでした。

 

まず、歌がめちゃくちゃ上手いこと。

アイドルなのに歌が上手い。

これがまず驚きでした。

 

次にルックス面ですが、いわゆる美形ではなかったですよね。

(正直言って、かわいいとも思わなかった)

でも、歌の上手な人ってエラの張った顔をしている人が多く、そのヨコ幅のある顔がちょうど反響板のようになって声が響くということがあるみたいです。

 

・・・と、ずいぶん失礼なことを書いていますが、ホント、松田聖子は歌が上手かった。

 

 

そして10年くらいまえだったか、正確には思い出せないのですが、何かのCMで『赤いスイートピー』を歌ったことがありましたよね。

この時、同じものを松たか子さんも同じCMの別バージョンで歌っていました。

 

松たか子さんも歌は上手だと思いますけど、それと比較するのは失礼ながら、松田聖子の歌唱力がやはり尋常でないことを再確認させられたCMでした。

 

ただ単に歌が上手いんじゃない。

歌心のある歌い方ってこういうことを言うんだろうなあ、と感じずにはいられない歌い方。

 

その松田聖子が50歳かそこらになって本気を出して歌った『赤いスイートピー』を聞きながら、私は思わず鳥肌が立ったのを覚えています。

 

 

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必ず卒業できるのに、なぜ自分の意志で中退するの?

 

松田聖子がアイドルだった頃、彼女の仕事というのは周囲がすべてお膳立てをして、あと本人は歌うだけ、歌うマシーンに徹するだけ・・・という感じだったと思います。

そういう意味では、悩んでいる暇などなかったのでしょう。

 

ところが娘の沙也加さんの場合、基本、自分の人生を自分で開拓していかざるを得ない人生だったようです。

だから一歩進めば悩み、二歩進めばまた悩む・・・といったことの繰り返しだったのでしょう。

 

そういう意味ではいわゆる七光り的なアドバンテージはまったくなく、すべて自分1人でゼロから作り上げていく大変さがあったに違いありません。

 

今はもう何が何だかわからず、とにかく前に進むだけで精一杯の毎日だったと思います。

でも、できれば彼女が熟年に達した時、あらためてその歌声を聞いてみたかったなあと思います。

できれば『赤いスイートピー』あたりがいいのだけれど、もうその願いは叶わなくなりました。

 

 

実は私の中には「死」イコール「不幸」という図式はありません。

もし「死」そのものが不幸なことなら、すべての人間は最終的に不幸で終わることになってしまいます。

 

私は「死」というものを卒業式だと考えています。

だから死にゆく人に対し、在校生は

「ご卒業、おめでとうございます」

と言うべき立場だと考えています。

 

ただ、その卒業の仕方は人によって様々です。

長生きした後で眠るように卒業する人もいれば、病気で卒業する人もいます。

 

病気の場合、本人にとっては不本意な卒業なのかもしれません。

でも本当はこれ以上学ぶ必要がないため、特別措置として早めに卒業させてもらえるのだろう・・・と私は考えています。

 

でも中には自分の意志で中退してしまう人もいます。

きっと人生というカリキュラムが大変だから中退するのでしょうね。

しかし人生は義務教育のようなもので、勉強などせずテキトーにやっていても、いずれは卒業できるものです。

 

というか、テキトーに生きることも、それはそれでそういう種類のカリキュラムなのかもしれません。

だからサボりながらでもいいし、登校拒否するのも本人の自由。

 

しかしどんなスタイルであれ、とりあえず卒業までは在籍していた方がよかったんじゃないかなあ・・・。

神田沙也加さんの訃報を聞いて、そんなふうに思いました。

 

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