雑記(未分類)

「見覚えのある顔」だから犯人だとは限らない

記憶のウソ

 

「私の記憶に間違いはない」

と自信を持って断言する人がいます。

でも記憶は冷凍パックで保存できない。

無意識のうちに書き換わったりする。

だから面倒なんだな・・・。

 

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「絶対に間違いない記憶」こそ疑わしい・・・

 

このサイトではトラウマやそれによるフラッシュバックなど、記憶にまつわる記事をいくつか載せています。

 

ある種の記憶が心の中に重石のように居座り続け、本人を長い間にわたって苦しめたりする。

だから記憶ってのはホント、やっかいだなあ・・・と思うわけです。

 

だけど心理学的な数々の実験や研究によって、この記憶ってやつ、案外いいかげんなものだということがわかっています。

 

よくあるのは「ある場面を見た」という記憶です。

確かに「その場面を見た」のは事実だけれど、「いつ見たのか」がはっきりしない。

そういうことがよくあるようです。

 

同じく、

「その顔には見覚えがある」

という記憶。

 

これもその人物の顔は知っているが、いつ、どこで見たかは覚えていなかったり・・・。

そこで無理に思い出そうとすると、まったく違う場面の記憶と結びついてしまったり・・・。

 

つまり記憶というのは1コマ1コマは覚えていても、時系列が不明なことが多い。

また、あっちの1コマとこっちの1コマとが合成されて、経験したこともない記憶になっていることも多いのです。

 

だから私たちの記憶というのは「絶対に間違いないっ」と本人が信じている場合に限って、案外、疑わしかったりするものです。

 

 

「見覚えのある顔」だから犯人とは限らない

 

ここで1つ例をあげてみます。

世の中に非常に多い例です。

 

例えばAさんという若い女性がいたとします。

彼女がジムから帰宅したところ、泥棒と鉢合わせをしました。

その泥棒はあわてて逃げていったのですが、マスクを付けていたため顔ははっきりとはわかりませんでした。

でも、目元のあたりや全体の雰囲気は何となくわかりました。

 

捜査のためにやってきた警官はまずAさんに3人の男性の写真を見せ、

「この中に犯人はいますか」と尋ねました。

 

実はその3人、元窃盗犯で、現在、仮釈放中の身でたまたまAさんと同じ地域に住んでいたのです。

でもAさんには3人とも犯人とは別人物に見えたので、

「この3人の中にはいません」

と答えました。

 

さて、それから1週間後のこと。

Aさんが自宅から少し離れたところにある店に買い物に行ったところ、その近くで「見覚えのある男」を発見しました。

まさにあの泥棒に間違いありません。

そうしてAさんの通報によってその男は逮捕されたのですが、即日釈放となりました。

なぜならその男には疑いようのないアリバイがあったからです。

 

 

実を言うと、ここで1つ変わったことが起きていました。

Aさんが「間違いなく真犯人だ」と思った男というのは、1週間前、警察がAさんに写真を見せた元窃盗犯3名の中の1人だったのです。

 

1週間前にはその男の写真を見て「犯人ではない」と思ったのに、今、その男を見てAさんはなぜ犯人だと思ったのでしょうか?

 

確かにその男はAさんにとっては「見覚えのある顔」でした。

しかしAさんがその男の顔を見たのはジムから帰宅して泥棒と鉢合わせした時ではなく、警官が3人の元窃盗犯の写真をAさんに見せた時だったのです。

 

つまり「見覚えのある顔」ではあるものの、犯行現場(自宅)で見た真犯人の顔ではなかったのです。

それなのにAさんは「見覚えがある」という感覚だけで、その男を「あの時の真犯人だ」とカン違いしたのです。

 

 

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書き換わった最新の記憶を真実だと思い込む

 

「記憶の断片」という言葉があります。

でも考え見ると、そもそも記憶というのは断片として脳の中に保存されていることの方が多いようです。

 

だからあちらの断片とこちらの断片とを合体させて、同じ時に同じ場所で経験した物事というカタチで思い出してしまうことがあるのです。

 

 

たとえば透明なシートに自分のクルマの写真が写っているとします。

別の透明シートに見知らぬ人物の写真が写っているとします。

 

これらは本来、別々の写真ですが、この2枚のシートを重ねるとまるで1枚の写真のようになりますよね。

 

それを後で見ると、

「なぜ見知らぬ人物が私のクルマの前に立っているんだ!?」

ということになるわけです。

 

記憶の断片と断片が重なって1つになってしまうのもこれと似ています。

 

 

そして2つの記憶がごく自然の流れで合体してしまうと、それを意識的に元の2つに分解するのは難しいと言われています。

 

さっきの泥棒に入られたAさんの話で言えば、警官はAさんが「犯人を見つけた」と通報してきた後、Aさんに

「この男なら先日、写真で見た時に違うとおっしゃったじゃないですか」

と言ったかもしれません。

 

でもAさんはおそらく、

「あの時は写真だったからピンと来なかったけど、絶対に間違いありません」

と言い張った可能性があります。

 

 

自分を苦しめている記憶は本当に正しい?

 

人間である限り、こうした記憶の混同は完全には避けられません。

それで特に気を付けなければならないのは「自分史」を振り返る時です。

 

「あの時、ああいう事があったために、今こうなってしまった」

と私たちは過去の不幸を嘆いてしまうことがよくあります。

 

でも、「あの時、ああいう事があったために・・・」

という記憶そのものがアヤシイ場合もあります。

 

もしかしたら「ああいう事」があったのは「あの時」ではなかったかもしれません。

でも、自分の脳の中でそれら2つが無意識のうちに合体し、「過去の出来事」として記憶している可能性もあるのです。

 

そして、そういう記憶に限って私たちは

「絶対に間違いない!」

と信じ切っています。

あの、泥棒に入られたAさんのように・・・。

 

実に記憶というやつはいいかげんです。

 

もしかするとトラウマ記憶だってその可能性がなきにしもあらず。

そんなバカな・・・とは思うものの、

「過去の記憶は案外いいかげんな場合もある」

と考えておきたい。

そうすることで、多少、気が軽くなるかもしれないから。

 

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