雑記(未分類)

10年後、ネット上から「いいね」ボタンは消えている

「いいね」の心理

 

「いいね」を獲得したいばかりに、あの手この手を使う人たち。

確かに今の時代、人から「いいね」されないと承認欲求が満たされません。

 

しかし世の中の価値観には必ず「揺り戻し」があります。

断言しますが、みんなが「いいね」を欲しがる時代も、せいぜいあと10年くらいで終わるでしょう。

私にはそう考える理由があります。

 

スポンサードリンク

なんでこのコメントに「いいね」が付くの?

 

隠すつもりもないけれど、私はまぎれもなく昭和の人間です。

だから一日中、ネット漬けの生活をしていても、いまだに「ネットを使いこなせている」という感覚がありません。

 

中でも一番わからないのが「いいねボタン」もしくは「グッドボタン」と呼ばれるやつです。

 

 

私にはこの「いいね」あるいは「グッド」の意味がよくわからない。

というか、この「いいね」というのは、私が知っている日本語の「いいね」とはどうやら別の概念らしい。

 

たとえばTwitterなどを読んでいる場合・・・

そこに書かれたコメントに、もし私が「いいね」をするなら、それは小気味よいコメントに対してです。

 

一見、適当なことを書いていそうで、何かハッとさせられる真実を含んでいるコメントに対し、私なら「いいね」をします。

 

ところが人が書いたTwitterの文章とかを読んでいると、

「朝からご飯を3杯食べました」

みたいな書き込みになぜか数千から数万の「いいね」が付いていたりします。

 

なんでなの?

私にはさっぱり理解できない世界です。

 

 

実際はその人の肩書きに対して「いいね」している

 

最近、意外に注目されているのがYahoo!ニュースに書き込まれるコメントです。

そのコメントの多い少ないで、そのニュースの価値というか、そのニュースに対する国民の関心度を見ることができると考える人が多いようですね。

 

そのコメント欄の「いいね」の数を見ていると、やはりここにも不思議なものを感じます。

でも、まったく法則がないわけでもないみたい。

 

たとえば「〇〇大学准教授」とかの肩書きを持った人が書いたコメントには数万の「いいね」が付いていることが多い。

 

そういうコメントって、確かに事実の裏付けがありそうには感じます。

でも私には当たり前すぎて、切り口に新鮮味が感じられなかったりします。

 

ところが、ただ単に「当たり前」に感じられるコメントにけっこう多数の「いいね」が付く傾向もあるようです。

 

ということは、皆が「いいね」を押したがるコメントっていうのは、ある意味、無難なコメントであることが1つの条件になっているということでしょうか。

 

 

私の場合、まだ他の人がほとんど「いいね」していない「目立たないけど素晴らしいコメント」にこそ「いいね」したい、という気持ちがあります。

 

ところが多くの人はそういう「目立たない」コメントに関してはスルーしますよね。

 

一方、書いている人の肩書きが立派だと、なんだかよくわからないけど皆が「いいね」しているから自分も「いいね」しとこう・・・みたいなノリで「いいね」されるみたいです。

 

 

スポンサードリンク

ネットでの自分の価値は自己申告制

 

私は以前、DMM英会話をテーマにTwitterをやっていたことがあります。

でも、私にはTwitterはまったくの不向きで、2か月も続けずにやめてしまいました。

 

でも、他の会員たちの動向を知るために、今でも時々、Twitterを見ています。

 

それで気づいたのですが、英会話のTwitterをする人って、けっこうな割合で

「TOEIC 850点」

などと自己紹介欄に書いていますよね。

 

これがね、昭和人間の私にはよくわからない。

なんでテストの点数を人に自慢するの?

みたいな感覚なんですよね。

 

でも、1つ気づいたことがあって、それは

TOEIC高得点を発表している人のコメントには「いいね」が集まりやすい、

という事実です。

 

「今日、疲れているので予約していたレッスンをキャンセルしまーす」

みたいなコメントにまでアホほど「いいね」が付いている・・・。

 

もはやそのコメントの内容が本当に「よいか、よくないか」なんて関係ないのでしょう。

 

とりあえずTOEIC 850点様が今日はレッスンをキャンセルなさるという事実に対し、

「はい、承りました」

という気持ちの「いいね」なんだろうな、としか解釈のしようがない。

 

 

さっきのYahoo!ニュースのコメントへの「いいね」の場合もそうだけど、「コメントの内容」より「どんな人のコメントか」の方が大切らしい。

 

 

しかし、私はもう1つ、ある事実を発見しました。

 

それはTOEIC 850点というのが既成事実ではなく「目標点であってもよい」ということです。

 

自己紹介欄に「目標TOEIC 850点」と書いている人の書き込みにも「いいね」が集まりやすいということです。

 

確かにTOEICで850点をめざすくらいだから、そこそこ英語はできるんだろう・・・。

・・・てことは、そのうち名実ともにTOEIC 850点様におなりになるのだから、「いいね」を押しておこうか、という判断なのだろうか。

 

 

結局、ネットの世界というのはウソかホントか分からない世界です。

だからこそ、自分の価値は積極的に自己申告しないとダメなのでしょう。

 

とりあえず自己申告で十分だから自分のポジションを明らかにしてしまう。

その方が読む方も安心するし、評価しやすい、あるいは評価されやすい、ということなのでしょうね。

 

 

「いいね」の文化はあと10年もすれば滅びる

 

結局のところ、「いいね」の正体というのは

「皆が評価している流れに自分も乗りたい」

という気分なのだろうと思います。

 

このところ、よく同調圧力という言葉が取りあげられますが、他から圧力を受ける以前に、「自分から寄っていきたい」という「同調志向」が人にはあるように思います。

 

自分より先に1,000人の人が「いいね」していたら自分も「いいね」を押し、とりあえず仲間になっておこう・・・というような。

 

だから自分より先にまだ数人しか「いいね」していなかったり、ましてや誰も「いいね」していなかった場合に「いいね」を押すのは勇気のある人か、さもなくばネットにうとい私のような昭和人間なのでしょう。

 

 

ただ、長年、世の中を見ていると、必ず物事には「揺り戻し」というのがある。

だから、今のこの「いいね」に代表される評価法はあと10年もすれば消滅するように思います。

 

 

ちょっと話が飛びますが、「開運!なんでも鑑定団」という番組があります。

あの番組は1994年に始まったのですが、時期としてはちょうどバブル崩壊後です。

 

なぜ、あの番組が視聴率20%以上をたたき出すオバケ番組となったのか。

 

それは島田紳助氏の司会ぶりにもあったのですが、それ以上にあの番組が時代の大転換機に作られたことが大きいと思います。

 

それまでのバブル時代というのは実体のない、それこそ空気みたいなモノやコトに全員が高値を付けて、高騰させていった時代でした。

 

そのバブルが崩壊した後、時代が一変。

誰もが「本当によいもの」を知りたい、求めたいと考える時代が来たのです。

そこにあの番組のコンセプトがマッチしたわけです。

 

その番組も10年前、島田紳助氏が司会からはずれた頃から人気に陰りが出てきました。

もちろん紳助氏がいなくなったのも大きかったと思います。

でも、かりに彼が司会を続けていても、あの番組の視聴率は下がっていったと思います。

 

なぜなら、ちょうど10年前くらいからSNSをやる人が増えてきたこと。

さらに「いいねボタン」とか「グッドボタン」が導入されるにつれて、「本当によいか、どうか」はどうでもよくなってきたからです。

 

その代わり、「他の人は皆どう考えているか」の方が重要になってきた。

 

 

でも、先にも述べたように、時代はあっちに揺れたり、こっちに揺れたりします。

当然、現代の価値観も変わっていきます。

 

おそらく今の「いいね」文化もせいぜいもって、あと10年。

10年経てば、また別の評価基準が誕生するでしょう。

 

だから、いつまでも「いいねボタン」とか「グッド評価」にしがみついていても仕方ない。

昭和時代から世の中を見てきた人間としては、そう思えます。

 

スポンサードリンク