雑記(未分類)

ワクチン論争は戦時中のヒステリックな国内状況に似ている

自由とワクチン

 

直感的に言って今のワクチン論争はおかしい。

もちろん論理的にもずいぶんヘンだけど。

どこがどうヘンなのか?

それをわかりやすく整理してみました。

 

スポンサードリンク

互いに次元の違うリスクとメリットを比較している

 

ワクチンを打つか、打たないか・・・。

この論議で常に比較されるのが

ワクチン接種のリスクとメリットです。

 

しかし、議論でヘンなのが、

互いに次元の異なるリスクとメリットを比較している

ということです。

 

ワクチン推進派の人たちの主張はこうです。

 

ワクチンを打つと確かに副反応はある。

しかし大勢がワクチンを打つと集団免疫ができる。

比較してみるとワクチンを打つメリットの方が大きい。

 

 

この理屈をもうわかりやすく書き直してみましょう。

 

ワクチンを打つリスク→副反応→個人に出る

ワクチンを打つメリット→集団免疫→社会に出る

 

だからワクチン接種においては

リスク < メリット
(リスクよりメリットの方が大きい)

と結論付けているのです。

 

この考え方って、何だかヘンじゃない?

 

だって

リスクについては個人単位

メリットについては社会単位

で考えている。

 

個人と社会・・・、なぜ次元の異なるものどうしを比較して、その優劣を決めるのでしょうか。

 

 

結局、ワクチン推進派の考えは

個人のリスクより社会のメリットが優先だ

と言う理屈ですよね

 

つまり

ワクチン打たないっていうのは
単なるわがままだ!

と言っているわけですね。

 

 

この説明を聞いて、

「ふんふん、なるほど、確かにワクチンを打った方が得だな!」

と思う人がいるなら、ぜひ次のように質問してみたい。

あなた、ちょっと・・・大丈夫?

 

 

80年前の戦時中も同じような社会状況だった

 

歴史を学んだことのある人なら、上とよく似た論議が昔の日本でも行われていたことを思い出すはずです。

 

戦前、戦中の日本には徴兵制度がありました。

今のワクチン接種とは違い、「戦争に行け」と国家から命令が来たのです。

すると私たちは必ず戦地に行かなければならなかったのです。

 

その当時の国家の考え方は次のようなものです。

 

戦争に行くリスク→戦死の可能性→個人の問題

戦争に行くメリット→自国の利益を守る→国家の問題

 

ここにもまた

リスク < メリット

という考え方がありますが、

その根底にあるのは

個人の戦死 < 国家の利益
(個人の命より国家の方が大切だ)

という思想です。

 

だから、みんな戦争に行くべし!

戦争行かないヤツは非国民だ!

という理屈です。

 

こういう考え方を全体主義と言いますが、今のワクチン推進派の考え方とそっくりだと思いませんか?

 

こうした全体主義の根底にひそむのはヒステリックな感情の暴走です。

もしかしたら、今、冷静さを失っているのはワクチン推進派の人たちかもしれません。

 

 

スポンサードリンク

死ぬ本人にとっての死亡確率は100%

 

戦争で死ぬのとワクチンの副作用とを同じにするな!!

という意見もあるでしょう。

 

しかし2021年7月時点でのコロナワクチン接種後における死亡率は約8万分の1です。

 

なんだ、確率的には8万分の1じゃないか!

と言う人がいます。

しかし、その理屈もおかしい。

 

1人の人間が8万回ワクチンを打つと1回死ぬかもしれない・・・というのであれば8万分の1の確率だと言えます。

これなら「確率的にほぼ安全」です。

なぜなら1日3食で80年近く生きて、1回だけ運悪く食中毒になるのと同じ確率だからです。

それを怖がって、生涯、食事をしないなんて人はいません。

 

しかしそれとは話が違う。

8万人の人が打った場合、その中の誰か1人が死ぬのです。

ということは、その「死ぬ本人」にとっては、たった1回打って死ぬわけだから死亡確率100%なんですね。

 

ここでもまた「次元の違うものを比較する」という、さっきと同じミスを犯しています。

 

 

有名インフルエンサーたちがワクチン推進の急先鋒に

 

もう1つ、やっかいなことがあります。

 

ホリエモン氏にせよ、ひろゆき氏にせよ、時代の寵児みたいなインフルエンサーがそろいもそろって過激なまでのワクチン推進派になっているという点です。

 

彼らのように発信力を持っている人たちがなぜワクチン推進派ばかりなのか。

そして、ワクチンを嫌がる人がいると、なぜワクチンを打つよう説得したがるのか。

 

ホリエモン氏の場合は飲食のビジネスなどもやっているため、国民全員がとっととワクチンを打って欲しいのだと思います。

 

しかし、ひろゆき氏の場合はちょっと違うと思う。

当初、彼自身、ワクチン接種には消極的だったけど、打ってみたら自分自身は大丈夫だったし、時代の流れがそっち方向だというんで勝ち馬に乗る方を選択したのでしょう。

彼は論破王とか言われていますが、決して“異端の論客”ではありません。

つまり流れを読んで、のっかるのが上手なだけです。

ただし、その流れが正しいかどうかまでは考えていなさそうですけど・・・。

 

 

一方、インフルエンサーや有名人の中で「ワクチンなんて打たないぞ」という人が1人も声をあげないのはなぜか。

まあ、干されるからでしょうね。

 

 

「自由」に不慣れな日本人

 

海外、たとえばフランスなどの場合、政府がワクチン接種を義務化しようと法案決定したとたんに大規模なデモが起こっています。

 

自由の国フランスの場合、よいことだろうが悪いことだろうが、とにかく義務化されるのが大嫌いな“お国がら”なんでしょう。

 

ところが日本の場合はまるで逆です。

日本は確かに自由な国家です。

しかし世間体や世論、ジョーシキなど、国民の自由を奪う空気がたくさんあります。

 

そこにきて政府から

「ワクチンを打つも打たないも自由です」

と言われたって、突然与えられた「自由」の使い方がよくわからない。

 

おそらく政府の方も

「いくら自由でも、どうせコイツら、同調圧力に屈して全員ワクチン打つよ」

と思っているんでしょうね。

 

 

ホント、日本人というのは“自由”に不慣れな民族です。

何やかんや言って、日本人は“自由”の使い方がよくわからない民族です。

 

“自由”というメインディッシュを目の前に出されても、それをどう食べればよいのかわからない。

 

だから「自由にしていいよ」と言われ、それを真に受けて自由を満喫しようとしても、たちまち「自分勝手だ」と周りから責められてしまう。

 

 

本来の“自由”には「自己責任」が付いてきます。

しかし日本の場合、“自由”に付いてくるのは「自分勝手」というレッテルです。

 

その国民気質にのっかっている日本のインフルエンサーというのは、結局、その程度のものだということでしょう。

 

 

あとがき

 

「しっかりした情報をもとに判断しよう」

と言いながら、相手には「ワクチンを打つ」という一択しか許さない。

 

もし「ワクチンは打たない」と言えば

「デマを信じてワクチンを打たないヤツ」

という汚名を着せてしまう。

 

なんとかならないものでしょうか。

ここらへんに関しては次の記事にも書いておきました。

デマの正体
デマ叩きは的外れ!ワクチン接種をためらう本当の理由 コロナワクチンを打つと 磁石が腕にくっ付くんですって? へえ~、 そんなデマが広がっているんですか・・...

 

はっきり言って、コロナワクチンが気持ち悪いというより、今のこの日本の雰囲気が気持ち悪い。

 

そう言えばマスク警察というのがいるそうですが、そのうちワクチン警察というのも出てきそうですね。

 

 

【最後に参考動画を1本】

 

スポンサードリンク