身を守る心理学

人は「気分」という色眼鏡をかけて生きている

あやうく痴漢冤罪

 

「あるがままに受け入れる」という言葉がありますが、これは実際には難しいことです。

人はたいがい「自分の気分のままに」世の中と向かい合っているのだと思います。

 

昔、私はあやうく痴漢の濡れ衣を着せられそうになった恐い過去があって、その時に人が持つ「気分」というもののオソロシサを悟りました。

 

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気分によって人生はバラ色にも灰色にもなる

 

生きている間、私たちは日常的にいろんな情報を自分の中に取り入れています。

 

その情報とは例えばテレビやネットのニュースだったり、友人や職場の同僚から聞いた話だったり。

 

これら以外にも、音、臭い、感覚など五感を通して受け取る情報もたくさんあって、これらを総合した情報から私たちは世の中を認識し、判断しています。

 

 

でも、こうした情報を「ありのまま」に受け取るというのはけっこう難しいです。

たとえば誰かから

「あんた、バカじゃないの!」

と言われたとします。

 

相手がもし仲のいい友だちなら

「だよね、自分でもそう思うよ」

と言ってゲラゲラ笑えます。

 

ところがもし気に食わない人間から言われたらカチンと来るでしょう。

これは同じ言葉でも、それを誰が言うかによって、こちらの受け取り方が変わってくる例です。

 

 

ここでもう1つ考えたいのは、同じ人が同じ事を言ってきた場合です。

たとえば取引先で大きな商談がまとまって会社に帰って来たとします。

「よし、うまくいったぞ」と自分の席でコーヒーを飲んでいたところ、そのコーヒーをデスクの上にこぼしてしまったとします。

その時、隣の同僚が

「あいかわらず、おっちょこちょいだなあ」

と言ってきても、たぶん笑顔で

「だよね」

と返せるでしょう。

 

ところが商談が大失敗に終わって会社に帰ってきたところで、同じようにコーヒーをこぼしたとする。

そんな時に同僚から「おっちょこちょいだ」などと言われると、たいがい誰でもムカッとする。

そういう場合、私たちはその同僚の言葉に悪意を感じてしまったりするものです。

 

 

これはつまり、

周囲から何らかの情報を受け取る場合、その情報はその時の自分の気分に彩られる傾向がある、

ということです。

 

 

よく言われるように、人生がバラ色に見えるか、灰色に見えるかは、

「その人生そのものの質による」

と言うより、むしろ

「自分自身の気分による」

と言った方が正解に近いのです。

 

 

あやうく痴漢冤罪を着せられそうになったこと

 

話はいきなり飛びますが、私は今までの人生で一度だけ、痴漢冤罪を着せられそうになったことがあります。

 

もう、ずいぶん昔のことです。

ある日、満員電車に乗っていると、ある駅で若いカップルが乗ってきました。

そのカップル、ちょっと異常だったのは、しっかり抱き合ったまま電車に乗車してきたことです。

 

その時、私は電車の扉の横の、ちょうど座席の端にある手すりが腰に当たるような位置に立っていました。

 

その時、私はショルダーバッグを肩から斜めに掛けていたのですが、バッグの部分がちょうど私の股間の前に来るようにしていました。

なぜならカバンをサイドにしておくと満員電車ということもあってセキュリティー的に危険だから。

もう1つの理由は、私はその時、両手に本を持って読んでいたので、その本を持つ空間を作りたかったからです。

 

 

当時はまだスマホがなかった時代なので、その頃の日本人は電車の中ではたいがい本か新聞を読んでいました。

もちろん満員電車の中でも・・・。

だから満員電車の中での私のショルダーバッグの掛け方は当時では割と一般的なスタイルでした。

 

 

さて、その抱き合ったカップルですが、ちょうど私の正面に女性の背中が来て、相手の男性と私とは、その女性の肩越しに顔を向き合わせる状態となりました。

 

しばらくすると、その女性が抱き合っている男性に甘ったれた声でこんなことを言いました。

「後ろの男、私のお尻を触ってる・・・」

 

女性は小声で言ってはいるのですが、何しろギュウギュウ詰め状態なので、声ははっきり聞こえます。

 

おそらく女性の尻に触れている私のカバンを人間の手だとカン違いしたのでしょう。

電車だから当然揺れるわけで、そのたびに私のカバンも、また女性自身の身体も揺れる。

そこで、その女性は尻を触られていると思ったようです。

 

本を読んでいた私は

「えっ、後ろの男性・・・って、俺じゃねえか!」

本の中にどっぷりハマっていた意識が急にガタンゴトン揺れる電車の車内に引っ張り出され、まだ頭の中はボーッとした状態です。

 

そのボーッとした頭で

「ちょっとこれはヤバイかも・・・」

とは思いつつ、少しずつ目覚めてきた恐怖感で全身が金縛りにあったような感じでした。

 

 

一方、男性の方はさっきから私が両手で本を持って読んでいることに気づいていたのでしょう。

彼は冷静に女性の肩越しに女性の尻のあたりを見下ろしてから

「いや、カバンだよ」

と言いました。

 

すると、その女性は

「ふうーん」

と言ったきりで、まるで何もなかったかのようにしていました。

 

 

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人は皆、「気分」という色の変わるメガネをかけている

 

ところで普通、電車で痴漢に遭った時って、女性はどんな対応になるのでしょうか。

私は見たことがないのですが、少なくともこの女性のように、今まさに痴漢されていると思いながらも、甘ったれた声でそれを一緒にいる彼氏に告げたりするものでしょうか。

 

通常だと、もっと緊迫した声で彼氏に助けを求めるのではないでしょうか?

 

 

これはあくまでも今だからこそ思うことなのですが・・・

 

おそらくその女性は完全にラブラブムードのスイッチが入っていて、自分が受け取る情報(この場合は私のカバンが彼女の尻に当たる感覚)を「自分の尻を触る痴漢の手」というふうに、無意識のうちに脚色してしまったのではないか・・・と思います。

(言葉で説明するのは難しいですが)

 

もちろんすべての女性がこういう場合にそうなるのではないでしょう。

そもそも男と抱き合ったまま電車に入ってくるような人物なので、そういう感覚の受け取り方になってしまったのかもしれません。

 

 

さて、最初にも書いたように、人生がバラ色に見えるか、灰色に見えるかは、人生そのもの質の問題ではなく、自分の気分の問題です。

 

自分の気分をいつもハッピーな状態に保っていれば、あらゆる情報は幸せをもたらしてくれる情報に思えてくる。

ところが気分が最悪な状態の日が続くと、見ること知ること、読むことのすべてが悪質なもののように感じられる。

 

同様、ラブラブモードの時であれば、人によってはあらゆる肉体刺激が「それ系」の刺激に思えてきたりするのかも知れません・・・。

 

 

ともあれ、

自分は常に「気分」という「変わりやすい色」のメガネをかけて生きているんだ、

という自覚は必要です。

 

これによって、少なくとも自分を取り巻く状況を誤認する確率は下がります。

(ゼロにはなりそうにないけれど)

 

また、こうした自覚があるだけで、自分にとっての人生の質が(よい方向に)少し変わっていくようにも思えます。

 

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