雑記(未分類)

学校教育の目的は万能の凡才を大量生産することである

学校教育の正体

 

学校で三角関数とか習ったけど、

今思えばまったく意味なし!

古文とか漢文とか社会に出たら

必要ないじゃん!

 

そもそも小学校や中学校からして

不必要な科目が多過ぎ!

運動会もいらねー。

 

――と思ったことはありませんか?

 

そう思うのも無理ありません。

なぜなら学校というところは教養を身に付ける場所ではないからです。

はっきり言って、科目なんてどうでもいいのです。

なぜなら学校教育の目的は別にあるからです。

 

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昔の義務教育は工場労働者を育成するためにあった

 

近頃、YouTubeで「切り抜き動画」っていうのが流行っていますよね。

そうした切り抜き動画の中で岡田斗司夫さんの動画もけっこう人気です

 

そこで今回、その岡田さんの動画を1つご紹介します。

その切り抜き動画の中で彼は義務教育のことを語っています。

ただ、彼自身の思想を語っているのではありません。

 

アルビン・トフラーという有名な未来学者の「かなり昔の意見」を紹介しているのです。

内容はこうです。

 

義務教育には表のカリキュラムと裏のカリキュラムがある。

表のカリキュラムとは計算や読み書き、つまり学科のことだ。

一方、裏のカリキュラムというのがあって、これこそ義務教育の真の目的である。

それは

① 時間を守ること

② 命令に従順なこと

③ 反復作業を嫌がらないこと

この3つを徹底的に覚え込ませることで、優秀な工場労働者を育て上げる。

これこそ義務教育の本当の目的である。

 

18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパでは産業革命が起こりました。

そして多くの工場で製品が大量生産されるようになりました。

その大量生産方式という発想を利用したのが学校における義務教育でした。

 

「工場発の教育システム」なので、最終的に工場の利益に還元されるのは当然だったと言えるでしょう。

 

 

▼下の動画で特に大切なのは4~12分くらいのところです。

 

 

アルビン・トフラーの義務教育論はもはや古い・・・

 

上の動画で岡田さんはアルビン・トフラーの説を紹介していらっしゃいます。

でも、出典が明かされていないのでどの本からの引用かは不明です。

たぶん『第三の波』(1980年)あたりだろうと思うのですが、これについては後日、確認してみたいと思います。

 

この岡田斗司夫さんって方はすごくユニークな方で、今、流行っているオンラインサロンなんてのも彼が最初に考案したものです。

 

それはさておき、彼は自著である『ぼくたちの洗脳社会』(1995年)を動画の中で紹介しています。

もうずいぶんと古い本ですが、その中で紹介している上記のトフラーの意見はさらに古いですよね。

それをなぜ今頃YouTubeで語っているのか・・・。

 

 

義務教育に対して一種の個人的恨みを抱える私としては、言いたいことがいろいろあります。

 

今はアルビン・トフラーの時代とはずいぶん変わり、どの工場でも機械化が進んでいます。

だから工場労働者も昔より大激減しています。

昔なら300人が働いていた工場でも今は管理者が数人いるだけ、というケースも多いです。

 

もはやトフラーの説は時代遅れのような・・・。

 

 

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大学共通1次試験という日本史上最悪の入試制度

 

トフラーの説、さらにはそれを今さら持ち出している岡田斗司夫さんの話が時代遅れに感じる理由は他にもあります。

 

それは国民全体の高学歴化です。

 

今、ほとんどの若者たちは中学卒業後、高校に進学し、また多くが大学に進みます。

となると、もはや小中学校のみの義務教育を語っても大した意味はない、ということです。

 

したがって、この記事では義務教育を含めた日本の学校教育について語ることにします。

 

そこでまず、日本の学校教育の総決算、象徴とも言うべき大学入試制度について考えてみたいと思います。

なぜなら、この大学入試制度にこそ、義務教育に始まる日本の学校教育の思想が凝縮されているからです。

 

 

さて、約30年間続いた『大学入試センター試験』は昨年をもって終了し、今年2021年からは『大学入学共通テスト』なるものがスタートしました。

 

改革に改革を重ねた結果だそうですが、その出発点になったのは昔の『大学共通第1次学力試験』、いわゆる共通1次試験です。

 

この共通1次試験は1979年から約10年間続きました。

これは国公立大学を志望する全受験生に対し、なんと合計7科目1000点満点の試験を受けさせるというもの。

その試験によって適度に足切りをして、通過した者だけが各大学の本試験を受験できるという制度でした。

 

もう少し細かく説明しますね。

共通1次試験が始まった時の受験科目は以下の通りです。

① 数学

② 国語(現代文・古文・漢文)

③ 英語

④ 物理・化学・生物・地学の中から2科目を選択

⑤ 世界史・日本史・地理・政治経済・倫理社会の中から2科目を選択

 

だから例えば、ある学生は

数学、国語、英語、物理、生物、世界史、地理

というように7科目を受験したわけです。

 

 

ところで、この共通1次試験ができる前の大学入試をご存じですか?

昔は国公立大も私立大も受験科目はいたって単純でした。

 

理科系・・・英語、数学、理科1科目

[例]数学、英語、化学

文化系・・・英語、国語、社会1科目

[例]英語、国語、日本史

 

国公私立、理系、文系を問わず、わずか3科目だけ。

こうした「ユルい大学入試」のおかげで、日本全国の高校生たちはそれなりに充実した高校生活を過ごせたように思います。

 

ところがこの共通1次試験というのは受験生にとってまさに天変地異でした。

まるで震度20くらいの地震、いや、小惑星が地球に衝突したくらいの衝撃だったのです。

 

理系、文系問わず、まんべんなく「ほぼ全分野」を勉強しなくてはならない。

それで最も大迷惑を被ったのは東京藝術大学など芸術系大学の受験生だったと思います。

 

将来、芸術家になりたいという学生でも数学や物理、日本史など全科目を勉強しないといけなくなったのです。

(センター試験以後、こうした足切りは緩和されたようですね)

 

 

学校教育の目的は得意科目を作るより、不得意科目をなくさせること

 

私が考える現代の学校教育の裏のカリキュラムとは以下の3点です。

 

① 協調性を養うこと

② 競争心を持たせること

③ 好き嫌いをなくさせること

 

①協調性と②競争心の育成については、つまり学校における集団教育ということですよね。

協調性と競争心というのは矛盾するところがありますが、その矛盾を受け入れさせるというのも学校教育の狙いなのです。

 

そして

③好き嫌いをなくさせる

という教育方針。

これこそが現代の学校教育の中で最も大切なポイントです。

 

会社に勤めたり、役所に勤めたりすると、全員が好きな部署、希望の職種に配属されるわけではありません。

 

でも「あれは嫌だ、これはやりたくない」などと好き嫌いはせず、与えられた任務を大人しくこなすのが社会人であり、サラリーマンというものです。

 

そうしてどんな任務であれ、いっさい自分の好き嫌いの感情は抜きにして、涼しい顔でやり抜く。

その訓練をするのが学校というところです。

 

 

たとえば学校時代、私たちは大嫌いな数学でも勉強させられました。

大嫌いな体育や音楽も勉強させられました。

大嫌いな漢文や古文も読まされました。

 

でも、その目的は教養を広げることではありません。

大嫌いなことでも涼しい顔をしてやるための訓練だったのです。

 

 

そういう意味では

現代の学校教育は優秀なサラリーマンを大量生産するためにある

と言えます。

 

得意な領域で最高のパフォーマンスを出す必要はない。

そのかわり、どの領域でも最低限のパフォーマンスを出せる人間になれ!

つまり、学校教育の目的とは

万能の凡才を大量に育てること

と言えば早いでしょう。

 

 

さて、こうした国家の意図を受け入れるかどうかは個人の自由意志です。

すでに学校教育を終えてしまった私たちですが、社会人になってまでその体験を引きずるかどうかは私たちの気持ちしだいです。

 

人によっては学歴にコンプレックスを持っている方もおられるでしょう。

しかし、学歴の正体というのは、しょせん、こんなものです。

そう考えておけば、案外生きるのがちょっとラクになるかもしれませんね。

 

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